2008年7月18日

豊臣秀次

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 7月14日(月)

 京都は名所旧跡の博物館のようなところなので、ノープランで歩いてもすぐに何かが見つかる。三条大橋近くの瑞泉寺は、豊臣秀次の墓所であった。秀吉の出世物語は途中までは痛快だが、次第におかしくなり、天下人となって以降は老醜をさらすこと甚だしかった。養子秀次や、その側室であった駒姫(お伊万の方)などの虐殺は、狂気の沙汰としか言いようがない。秀次の命日は7月15日とか。高野山でも墓碑を見つけた記憶があるが、改めて手を合わせてみた。

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コメント

秀吉というのは、なぜ人気があるのかなあ。人の歓心を買うため、人気を取るための金離れだけはよかった(それ以前に資金作りがうまかったが)。女癖も悪かったが女に刺される事はなかった。晩年はでたらめな治世で多くの人々を苦しめた。朝鮮半島で外国の人まで苦しめた。何の目的でなのか?唐天竺まで攻めて、そこの王になるなどと。どれだけ人を苦しめれば満足するのか。検地を徹底して収奪を極めた。千利休が諫言すると、これを殺した。見せしめの残虐さは古今の横綱級。でも死ぬ間際は、その報いを受けていたような気がする。死後に対する不安はいかばかりか。五大老以下の誓詞など不安の表れ以外の何物でもない。なぜ、気づかないのか自分の愚かさに、気の毒なことだ。なぜ、ああなったのか。そしてなぜ、あのようなものがリーダーになったのか。
 それにひきかえ北条早雲というのは立派だった。なれるものなら、ああいうリーダーになりたいものだ。ああいう老い方をしたいものだ(箱根の坂)。

 つまらぬ知らせがあったもので、平静なようでもいささか動揺していたか、名前を入れ忘れた。未熟だなぁ。人のことを愚かとか言っていたから、罰が当たったか(笑い)。
 権力者は権力に酔うというよりは、権力への欲望が強すぎて更なる権力を求めるのか。あるいは権力を失いたくないがゆえに更なる権力を求めるのか。あるいは自分が権力を持っているという自覚が麻痺するのか。
 いずれにしても権力者は絶えずチェックされなくてはならないし、権力は分散しておかなくてはならない。それが怠られるのなら、怠る者にも一分の非がある。そうではないですか、mtさん。
 

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