2008年6月30日

twilight light

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 6月30日(月)

 上野から高崎線に乗り、行田に。午後遅く、水城公園、忍城址などを歩いた。

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湖水の色

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 敦賀から名古屋の移動は当初バスを考えていたのだが、バス停のある敦賀ICまでの移動手段がよくわからず、結局電車にした。JRで特急しらさぎに乗ればわずかに1時間余りだが、別に急いでいるわけでもない。いつも通り、在来線でゆっくり行く。

 琵琶湖東岸の景色は小雨でけむっていて、旅の終わりを感じながらの移動。その間に読んだのぼうの城(和田竜著、小学館)が抜群に面白かった。圧倒的に不利な状況で水攻めに耐えきった坂東武者のプライドと、史実にも名を残す甲斐姫の活躍が実に痛快。東京に帰ったら早速、行田の忍城跡を訪ねようと思ったのだが、起きたらこの時間ですか。夕暮までには間に合うだろうか。

2008年6月29日

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 6月29日(日)

 第2回小学生女流名人戦名古屋大会。詳しくはこちらをご覧ください。あいにくの雨ではあったが、熱気あふれる素晴らしい大会とだったと思います。お世話になった多くの地元の皆さま、ありがとうございました。

  写真の駒はひえじまデザイナーの力作。今日のリレー将棋でも使われていた。動物たちが入り乱れた中終盤になると、自分のように頭の硬いおじさんでは、どういう情勢になっているのか瞬時に判断がつかず、そういう意味でも新鮮だった。

  一乗谷朝倉氏遺跡で発見された四百数十年前の朝倉駒の中にもまた、動かし方を墨で書いて足し、図示した駒があったとか。ビギナーにどうやってルールを覚えてもらうかは、将棋界永遠のテーマのようだ。

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2008年6月28日

名古屋着

 6月28日(土)

 このブログ、旅に出ると時系列がばらばらになってわかりづらいが、今日は都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)に手を振って別れ、敦賀を発って琵琶湖畔を南下。米原で東海道線に乗り換えて、名古屋に着きました。明日は小学生女流名人戦の名古屋大会です。現在は栄のビジネスホテル。これから夕食は野島店長の勤める五右衛門に行ってきたいと思います。

福井城址

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 6月28日(金)

  朝5時に起きてしばらくPCに向かった後、風呂に入ると二度寝でそのまま熟睡。起きたらチェックアウトの10時間近だった。

  宿を出た後、さて一乗谷までどう行こうかと、まずはJR九頭竜線のダイヤを調べる。福井駅発、9時6分の次は12時49分だった。ではバスはと見れば、10時の便が行ってしまった後では、次は12時20分。いずれにしろ時間があるのでその間、まだ訪れていない福井市内のスポットを散策することにした。

  町を歩いていると「焼きそば焼けたよー」と威勢のいい声が聞こえた。そちらを見てみて、空耳と判明。焼きそば、ではなくて、焼きさばだった。一匹まるごとが串に刺さって、600円。核家族の夕餉ぐらいでは、消費しきれないほどの量に見えた。

 書店で本を3冊、今川焼本舗で名物の今川焼を2つ買って、福井城址に向かう。入ってすぐには、藩祖・結城秀康の像。幸いなことに今日もいい天気で、石垣の上にのぼると見晴らしがよかった。

Forever Young

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 いま敦賀で泊まっているホテルの部屋は、714号室。それで思い出したが、自分の中学3年時の担任は、稲田先生という女性の先生だった。フランス革命は1789年7月14日。当時自分たちの中学に伝わっていた覚え方は実に明快で、「いなだ若くないよ」。年だけでなく、日付まで一発で覚えられるのだからすごい。これだけうまい語呂合わせはまれであろう。以上は予備校の世界史講師になっていれば出す予定だったネタのひとつで、身近に「いな」という読みを含む名の人がいればすぐに応用可能だ。当然ながら失礼千万、無礼きわまりないので要注意ですけど……。

  ……とここまで書いたところで、このブログを読んでいる人であれば、小言妻氏の名前が思い浮かんだかも知れない。あわててフォローしておくと、小言妻氏は自分から見ればもう、気が遠くなるほど若い。出雲のイナズマの次ぐらいに若い。他意はないのでこれからも仲良くしてください。どういうフォローだ。今度また遊びに行ってもいいですか。

  年月が経ち、自分の記憶の中では、稲田先生は歳を取らない。そうして当時の稲田先生より、自分の方がすでにはるかに歳を取っているかも知れないことに、いま気づいた。

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2008年6月27日

おやすみ

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あやとり糸は昔 切れたままなのに
想いつづけていれば 心がやすまる

もうすべて終わったのに
みんなみんな終わったのに

(井上陽水)

敦賀港夕景

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 松尾芭蕉は旧暦8月14日、敦賀湊や気比神社に寄った後、全部で十五句ほど気比の名月を詠んだそうだ。芭蕉先生に倣って月が出るまで待とうかとも思ったが、最近はどうも根気がない。夕餉に帰る親子に倣い、海を背にして町に帰った。

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Dock of the Bay

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 6月27日(金)

 駅前からラーメン屋近くまで行くバスに乗ろうとするも、それがなかなか来ない。これは敦賀港まで写真を撮りに行けということだろうと解釈して、方向転換。気比神社まではバスで行き、そこから海まで歩くと、ちょうど日が沈む頃だった。

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敦賀着

 6月27日(金)

  駅前に宿をとりました。一力という早く閉まってしまう人気ラーメン店と、赤レンガ倉庫群の夕暮という二択を迫られています。ラーメンが正着ですか。

今日も旅ゆく

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 6月27日(金)

  東尋坊タワーからはしばしば、光の屈折の加減で、300km先の隠岐の島が見られるのだとか。

  今日は一乗谷をめぐった後、敦賀まで行く予定です。

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Where I'm calling from


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 旅先といえど携帯電話がある限りは仕事の話ができるわけで、だからこそ安心して旅に出られるとも言える。夕方、東尋坊で携帯電話をチェックすると着信履歴あり。電池がなくなりかけていたので、近くの公衆電話からコールバックしようかと思ったのだが……。

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東尋坊

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 永平寺の後は、東尋坊に。それなりに天気がよくてよかった。荒れた日本海もまたいいのだろうが、少しでも風が強ければ吹き飛ばされて落ちてしまいそうで、足がすくんだ。

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永平寺

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 6月26日(木)

 10時26分福井駅発のえちぜん鉄道・永平寺勝山線に乗る。アテンダントは乗車している便とそうでない便があるらしく、自分が乗ったときには乗車していなかった。永平寺口駅で降り、すれ違う電車を見ると、そちらには美人のアテンダント。やっぱり採用基準はヴィジュアル重視なのだろうか。そんな俗世のしょうもない煩悩から距離を置けということなのだろうか、バスに乗ると山の中の永平寺まではちょっとした距離だった。

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2008年6月26日

spotting

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 今日撮った写真を見ているうち、4点ほど汚れらしきものがついていることに気がついた。なぜ? 原因はなんでしょう? 心が曇っているからですかね……といろいろ考えていたのだが、どうも水面に浮かんでいる何かがボケてこうなったようだ。

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福井の夕餉

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 6月26日(木)

  永平寺と東尋坊に行ってきました。福井駅まで戻ってきたのは、21時過ぎ。今日は福井駅前の小川家に行ってみました。昨日のヨーロッパ軒が老舗のやや高級店なら、小川家は新興のチェーン店。女子高生2人組が普通にソースカツ丼頼んでいるのを見て、なるほど、これは確かに福井のソウルフードなのだな、と思いました。

 さて福井といえば焼き鳥の消費量が日本一だとか。超有名店の秋吉に行ってみようかと思ったのですが、東京にも進出しているのですね。どなたか一緒に行きましょう。

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ソースカツ丼

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 さて勝山のことだけでも、すぐには記しきれそうにない。とばして先に進めると、15時前には福井市内に戻ってきた。駅から少し歩き、ヨーロッパ軒にてソースカツ丼を頼んだ。ガイドブックを見てみると他にも美味そうな店はたくさんあるのだが、車がなければ行くのは難しそうだ。

平泉寺参道


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勝山


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 9時48分、えちぜん鉄道の勝山駅で降り、さて平泉寺行のバスはと見ると、これが1日に4本だった。8時34分の次には、12時21分しかない。ただし10時50分発のぐるりんバスで参道入口近くの平泉寺荘にまで行けるとわかったので、それまで待つことにした。

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 「勝山」は地元の人の発音では「かっちゃま」。平泉寺の門前で、現在でも自分のように平泉寺を訪れる観光客が訪れる町だ。ところがその地名は中世、一向一揆が平泉寺を焼き打ちしたときにつけられたもの。皮肉なものだ。東尋坊はとびきりのワルだったらしいが、それに及ばぬまでも似たような暴れ者はたくさんいたのだろう。司馬遼太郎の著作に詳しいけれど、往時の平泉寺は搾取をする側であり、近隣の民衆にとっては迷惑な存在だったようだ。

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えちぜん鉄道

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  この日泊まる予定の駅前の宿に荷物を預けた後、福井駅に。えちぜん鉄道の三国芦原線に乗って終点の三国港まで行く予定だったのだが、ちょうど目の前を8時40分発の電車が出て行った。電車は30分に1本。次まで待つには眠すぎて、さっさと電車の中で寝てしまいたくもあり、8時56分発の勝山永平寺線に乗ることにした。眠い頭で考えるに、午前から午後にかけて越前勝山、永平寺を回り、夕方までに東尋坊に行くのが効率がいいのではないか、とも思われたからだ。だいたい土地勘のないところでのこうした適当な目論見は、軽くはずれることになる。

 さてまず切符を買おうとしたところ、自動販売機がない。窓口で永平寺口までお願いします、と言うと、「お寺さんに行かれますか?」と尋ねられた。あ、知ってますよ。永平寺口駅からはバスが出てるんですよね。私もガイドブックを読んでそこまでは調べてましたよ。しかしバスのダイヤまでは知らない。電車が着くたびに連絡してるのでは、と軽く考えていたのだが、違った。丁寧にもバスの時刻表を渡してくれたのだが、どうもそれによると駅に着いてからは30分待つことになる。乗った電車の中、眠い頭で考えながら、じゃあもういいや、とりあえず永平寺は後回し、終点の越前大野まで行くことにした。

  さていま冷静にバスの時刻表を見返しているのだが、永平寺口駅から出て永平寺に着くバスの便は、午前中は3本だ。30分待ちならむしろラッキーの内に入るのだな。効率よく観光したい人は、事前に計画を立てておいた方がよさそうだ。まあたいした距離でもないので、タクシーに乗ってもたいした額ではないわけだが、自分としてはそこまでして行こうとは思わなかったのでスルーした。

 それはともかくも、アテンダントという車掌風のおねえさんが電車の中、永平寺口で降りる予定の乗客に希望を聞いて、タクシーの予約までしてあげているのには驚いた。あとバスガイド風に案内もしてるし。えちぜん鉄道がここに至るまでの経緯などはいま、ネットを見て初めて知った。アテンダントの物語については、「ローカル線ガールズ」という本に詳しいようだ。タイトルからして泣けるじゃないですか。明日買って読んでみます。

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2008年6月25日

平泉寺

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夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと

(松尾芭蕉)

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Welcome

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 ようこそ駒込ライフ! 陽子ねえさんにはDSを貸す約束をしているのだが、また取りに来てもらうということでいいんですかね。今後ともよろしくお願いします。

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北前船

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 そうそう、さっき大通りを歩いていたら、もう帆船模型が好きでたまらない、という雰囲気の帆船模型販売ショップを見かけた。当然ながらというか、北前船も作られているようだ。

 ところで三年寝太郎にはいろいろなバリエーションがあるようだが、自分が読んだ地元の説話(これは厚狭の話だったのか)では、千石船で佐渡に行くことになっている。

  敦賀からフェリーに乗れば、秋田に着く。そうすれば47都道府県、すべて行ったことになるな、とも今ふと考えたが、日曜日には名古屋にいなければならない。秋田はまた他日訪れたい。

福井着

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 6月25日(水)

 前日23時前に夜行バスで新宿を発ち、1時半頃に携帯を見る目が疲れて、そのまま熟睡。起きると4時頃で、窓の外は曇り空だった。鯖江、武生、敦賀と経由して、朝6時半、福井のバスターミナルに到着。エチゼンクラゲのえくらちゃんに出迎えられた。

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 朝ということもあるのだろうが、半袖だと、ここは日本海側と意識させられる肌寒さ。とりあえずはJR福井駅の方に歩いている途中、地元紙の社屋があり、その前に今日の朝刊が張り出されていた。将棋欄は県王位戦予選の観戦記。次の一手問題は実戦詰将棋で、少し考えさせられた。社会面を読んでいると地元のおじさんから話しかけられたのだが、これがもう何を言われているのかさっぱりわからない。「自分たちの身近なことでもこうして新聞の記事になるとずいぶん感じが違うものだねえ」という口調だったと感じたが、あるいは全然違うかもしれない。

 いまはマクドナルドで今日のスケジュールを考えています。eモバイルが使えてよかった。初日は東尋坊の予定だったが、あいにくこの薄暗い曇り空。ならば今日は永平寺ぐらいにして、他日青空を待って東尋坊に、とも考えたが、天気予報では明日は雨。天気がよくなる保証もないので、やはり今から東尋坊に行ってきます。

2008年6月24日

梅雨の合間

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 6月24日(火)

 昨日までとは打って変わり、青空の一日。布団を干して、シーツを洗った。ベランダの外に洗濯物を出したところ、ズボンが落ちて下の階の部屋の手すりに引っかかったまま。下の人が留守のようなので、帰ってくるのを待ちながら旅支度をしているところです。

朝倉駒

 さて将棋関係者の一人として、福井に行くからには一乗谷朝倉氏遺跡で発見された将棋駒を見てこないわけにはいかない。資料館に展示してあるようなので、楽しみにしてます。現行の将棋(いわゆる小将棋)では使われていない酔象(すいぞう)の駒が1枚見つかったのが珍しい。

  酔象はまず最初、玉のひとつ前に配置される。一度酔象ありの将棋を指してみたいと思うのだが、振り飛車党は困るだろう。後ろに進めない以外は玉と同じで、成れば太子(たいし)として、玉と同じ動きとなり、玉を取られても太子がいればまだ負けとならない。

  ところでいま「越前の諸道(街道をゆく18)」(司馬遼太郎、朝日文庫)を読み終わったのだが、「将棋」という章で朝倉駒や酔象について触れられているので、メモしておきます。

 …ふつう漢語で酔象というのは「酒を飲ませて酔いくるわせた象」という意味で、凶悪なもののたとえに用いられるが、室町将棋の酔象は成れば、王子の役目をするらしい。

…玉・王をとられても勝負はおわらず「酔象」という太子がただちに即位して王とおなじ働きをする。なにやら未練たらしく、勝負事としてはこんにちの将棋のほうがはるかにいさぎよいが、しかし室町・戦国の時代、世情の中にいるひとびとの実感としては、主将がやられて投了というのでは、かえってうそっぽく、その嗣子が立ってひきつづき戦う、というほうが、気分としてなまなましかったにちがいない。あるいは、当時、酔象(すいぞう)とよまずに(すいしょう)とよんでいたかもしれない。

 朝倉氏は当主義景、およびその嗣子が織田信長によって討たれ、滅亡した。ただし朝倉末裔伝説は多くあり、その後もお家復興の動きなどはしばしばあったそうだ。いまネットで検索してみたら、その子孫という人のサイトがあるのに驚いた。酔象の駒が後世1枚伝えられたように、もしかしたら義景の直系もどこかで生き延びていたのかもしれない。

2008年6月23日

Oh La La

 「福井青春物語」を観た。とりあえず福井風のソースかつ丼をが猛烈に食べたくなり、都内で検索してみたのだが、どうもこれといった店はないようだ。

 さて福井、ヨーロッパ軒でソースかつ丼を頼み、一乗谷で朝倉氏に思いをはせ、東尋坊でカモメの写真という、いまだ漠然たるプランしかない。まあ、いつものことですけどね。

福井青春物語

 6月23日(月)

 昼、Sさんとシンパンツェにてランチ。ごちそうさまでした。

 午後、ある予定が流れて後日に持ち越し。名人戦第7局もなくなったので、29日(日)の小学生女流名人戦まで手帳に書かれているスケジュールは何もない。よく考えればこの夏いっぱい、これだけまとまった時間を作れるタイミングはないかも知れない。そう思うと今からどこかに出かけたい。どこに行かねばならないところがあるわけでもなく、未だ未踏の都道府県2つ、福井か秋田のどちらかにしようと思う。つい最近天童に行ってきたので、違う方向にするなら福井ですかね。羽生名人復位記念とでもいうことで。そう思って早速高速バスの空席を調べてみると、今晩発の2便はいずれもすでに満席だった。明日出かけて、帰りに名古屋というルートがいいということなのだろうか。

 というわけで明日出かけるまでに、製作者がYou Tubeにアップしている福井青春物語を見ていきたいと思います。

私的名曲再発見(7)

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・Katjusha(Red Russian Army Choir, Leningrad Cowboys)
 「Total Balalaika Show」、学生時代に何度聴いたかわからない。いろいろな意味で歴史的な名盤。ところでくま日記で紹介されている「かもめ食堂」、自分はまだ見たことがないです。ヘルシンキはあまりに遠し。

 ・Lara's Theme
 ラーラのテーマ。夏が終わって寒さを感じる頃に頭の中で流れる、私的夏のエンディングテーマ。

・Calling You(Holly Cole) 
 「A desert road from Vegas to nowhere/Some place better than where you've been」
 昔、サンディエゴからラスベガスまでグレイハウンドバスで移動したとき、自分の中のアメリカの原風景を見た気がした。

 ・(Looking For)The Heart of Saturday Night(Tom Waits)
 最近ホリー・コールのカバーを聴きました。なかなかいいですね。

2008年6月22日

雨の日曜日

 6月22日(日)

  深夜に起きて、朝まで日レス杯の準備など。ネットワークカメラ、ウェブカメラの設営、棋譜・コメント入力、撮影まで一人でこなすとなれば段取りが重要だが、今日は及第点だったのではないか。

 夜は蛍を見に行こうと思っていたものの、結局大雨で行かなかった。撤収後、自宅に戻ってそのまま熟睡。起きると大和証券杯が最終盤を迎える頃だった。

日レス杯開幕

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 6月21日(土)

 棋聖戦五番勝負第2局は佐藤棋聖の勝ち。角換わり振り飛車に対してもまた、穴熊は有力という結果が続いている気がする。羽生名人は2連敗で早くもカド番。棋聖で四冠、王位で五冠、竜王で六冠……と可能性は開けているが、七冠への道のりは、やはり遠く厳しい。

  棋聖戦を見終わった後は急に眠くなり、家に帰って熟睡。ハチワンダイバーが始まる頃には起きるだろうと思っていたが、気がつくと日付が変わっていた。

  6月22日(日)

  日付が変わって、今日から日レスインビテーションカップ・第2回女流棋士トーナメント開幕。中継で使う柿木アプレットは現在、3.12にまでバージョンアップしている。柿木さん、いつもありがとうございます。

2008年6月21日

夏至


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 6月21日(土)

 遅く起きてメールをチェックしてみると、仕事関係の連絡がいくつか。最近ある美人に写真をほめられたので、どこか撮影にでも行こうかとも思ったが、雨が降り出しそうな曇り空。上下の紫陽花は、去年の使いまわしです。

 写真を撮りに行かないとなれば仕事以外に予定もなく、午後、事務所に。今、棋聖戦第2局を見ながら、明日の日レス杯開幕戦の中継準備などをしています。羽生名人はついさっき、天童と将棋会館で見かけた気がするのだが、今日は豊田ですか。将棋業界忙しさ順位戦をつけてみれば、名人はやはり羽生名人だろう。

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長いリーグの途中

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 6月20日(金)

 朝、将棋会館の中継室にて目が覚める。この日もA級1回戦▲深浦王位-△郷田九段戦とB級1組2回戦があるが、担当は交代。自分の機材を片づけて、将棋会館を後にする。まだ昨日からの延長のようで、眠いままでもしばらくぼんやりしようと思い、ランチ前で静かなジェイ・クックに。アイスコーヒーを頼むと一緒に、ある政治家の著書と、「月の小屋」(三砂ちづる、毎日新聞社刊)も出された。敦子さんに紹介してもらう本は時間があれば読むことにしていて、店を出るときにはもう、ランチで混み合う時間だった。

  午後、駒込に戻る。駅を出てからふとホームを見上げると、カメラを手にした多くの人がいたことに気づく。どうやら珍しい列車が通るようだ。鉄道マニアの情熱には、いつも感動を覚える。価値がよくわからないままに自分も、そのクラシカルな列車の写真を撮ってみた。

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 20時、東野と門前仲町で待ち合わせ、花菱に。熱燗を飲みながら、最近の将棋界や岩手・宮城の地震の話など。ふと自分たちが座っていたカウンターの向こう側を見ると、石倉三郎さんが座っていた。

 22時頃に東野と別れて、今度は北尾・片上夫婦の家に。宇都宮から届いた美味しい餃子をD君たちと一緒にいただいた。さて順位戦はと見ると、▲行方八段-△山崎七段戦は大逆転。傷心であろう山崎七段に、北尾邸で一緒にお酒でもどうですかと電話をしてみると、今からどこかでのたれ死にしてきます、という返事だった。対局がすべて終わった後に表を見返してみると、今期B級1組はまれにみる混戦になりそうな気がした。

 深夜、北尾邸を出て、歩いて駒込に向かう。外苑東通りから新目白通りを抜け、写真は江戸川橋から。名人戦第1局がおこなわれた椿山荘は、この近く。歩き始めて1時間半ほどして、護国寺のあたりで雨が大降りとなり、そこからは横着をしてタクシーで帰った。

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長いリーグの始まり

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 6月19日(木)

  A級順位戦1回戦▲三浦八段-△丸山九段戦の中継。詳しくはこちら名人戦棋譜速報をご覧ください。

  同日おこなわれた王位戦挑戦者決定戦▲羽生名人-△橋本七段戦は羽生名人の勝ち。棋聖で四冠、王位で五冠という話も現実味を帯びてきた。

  順位戦の方は午前10時に始まり、深夜1時5分に終了。検討陣が帰れない名局だった。感想戦が終わったのは2時半。控え室に戻ってテレビをつけると、サッカーのブラジル-アルゼンチン戦がおこなわれていた。W杯南米予選は参加10か国がホーム&アウェーで総当たり。そのシンプルさ、レベルの高さ、過酷さは、将棋のA級順位戦と似ているか。奨励会の子とボナンザとの七番勝負を明け方まで見て、5時頃に寝た。

2008年6月19日

桜桃

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 名人戦第6局では、地元天童で作られたさくらんぼをいただいて帰った。天童市、天童市商工会議所、天童ホテルの皆さま、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 ところで今、宵待日和を読み返してみた。宵待先生の基本的な生活スタイルは、三鷹時代とさほど変わっていないのではないだろうか。

2008年6月18日

Heavy Gauge

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 6月18日(水)

  森内前名人が北尾さんにギャモンで大勝していたという頃、自分は部屋で熟睡。朝起きると8時半頃で、あわてて中継機材を撤収。9時過ぎ、ホテルロビーでおこなわれていた羽生新名人インタビューの模様を撮影。名人位通算5期獲得がどれほどのことであるのか、将棋を知らない人に伝えるにはどう表現すればいいかを思った。 帰りはまた天童駅から新幹線。「僕は今東北ツアーを終え、東京行きの列車の中……」という、昔の歌が頭の中で流れた。車中で寝入れば3時間はあっという間。タクシーに乗れば東京駅から大手町の日本経済新聞までもあっという間である。王座戦中継の打ち合わせを終え、パソコン2台を含む中継機材と着替えと天童土産を抱え、歩いて竹橋に。荷物を置かせてもらって身軽になった後、毎日新聞の牧野さんと赤坂飯店で担々麺の昼食。パレスサイドビルを出た後、北の丸公園あたりまで散歩。夕方、毎日新聞、朝日新聞、TDNの皆さんと中継スタッフとで名人戦棋譜速報に関する今後の打ち合わせ。夜、今期名人戦中継の打ち上げ。ごちそうさまでした。二次会にも参加したかったが、明日のA級中継登板のため、お先に失礼した。羽生新名人は、明日は王位戦挑決で対局、その翌々日は棋聖戦第2局で対局という。このスケジュールがどれほどのものであるのか、将棋を知らない人に伝えるにはどう表現すればいいかを考えながら寝ます。おやすみなさい。

前名人

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 6月18日(水)

 上の写真は松本撮影です。聞けば森内前名人は朝まで北尾さんとバックギャモンに興じて、始発の新幹線で北尾さんや椎名さんと帰っていったという。2003年の名人失冠のときには熱海から始発の電車に乗り、そのまま都内で島九段などと麻雀を打っていたとか。前名人の心中は察するに余りあるが、今期A級順位戦でももちろん挑戦権争いの本命格。また来年の名人戦に登場する可能性も高いだろう。

名人戦閉幕

 6月17日(火)

 既報の通り、名人戦第6局は羽生挑戦者の勝ち。シリーズを4勝2敗で制して、名人位に返り咲き、通算5期で19世名人の資格を獲得した。詳しくはこちら名人戦棋譜速報をご覧ください。

  現在は打ち上げも終わり、しばらくは控え室でA級1回戦・佐藤棋聖-鈴木八段を観戦。森内前名人、森九段、阿久津六段などのギャラリーを集める中、佐藤二冠が奇跡的な即詰みを読みきって、喚声が上がった。

 現在は控え室で森内前名人、森九段、北尾女流初段、椎名龍一さんらによるバックギャモン大会がおこなわれている。写真はカメラマンの弦巻勝さん撮影です。

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2008年6月17日

Summertime

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 6月17日(火)

 前日も控え室でバックギャモンがおこなわれていた。22時頃、目を開けていられなくなり、部屋に帰って熟睡。目が覚めて2時頃にまた来てみると、当たり前だがもう誰もいなかった。

 それからずっと起きていて、朝4時過ぎにふと気づき、夜明けの写真でも撮ろうと思い外を見ると、空はすっかり白んでいた。

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2008年6月16日

Cherry & Clover

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 6月16日(月)

 名人戦第6局1日目終了。詳しくはこちら名人戦棋譜速報をご覧ください。

 昼、北尾さんや翔記者たちがロケでさくらんぼ狩りに。四つ葉のクローバーを、3つも見つけてきていた。

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名人戦第6局1日目

 6月15日(日)

 名人戦第6局移動日。天童に来ました。 夜、控え室で大和証券杯1回戦・藤井九段-久保八段戦を観戦した後、部屋に戻って寝た。

  6月16日(月)

  名人戦第6局1日目。今日もがんばります。  ところで名人戦棋譜速報が有料コンテンツとなったのは、2003年5月、第61期七番勝負第3局から。その際、なぜか私に中継担当の話が来た。それまで私は将棋関係の出版物の編集に携わっていたりもしたが、対局の現場で取材するような経験は一度もなかった。草サッカーのプレイヤーが突然、ワールドカップ決勝の実況をよろしくと言われたようなもの。3泊4日対局者と帯同でき、しかもバイト代として2万円もらえるという。一将棋ファンとして、感激したものだ。リアルタイムで、分量無制限、中継の内容は自由にどうぞ、という条件で、出来上がったのが以下の「控え室の検討」である。現場で書いたテキスト(後には図面や写真も)をページ更新担当のおねえさんにひたすらメールで送り続ける。名人戦棋譜速報が高度にシステム化され、現場でほぼすべての処理ができる今となっては、その気が遠くなるような手間も懐かしくはある。どこからが観戦記で、どこからが実況、レポートかという区分にはあまり興味がないが、当時はこういう感じでやっていたという記録の意味で残しておきます。

2003年名人戦第4局(控え室の検討)

【千日手局】
▲7六歩△3四歩▲1六歩まで(初手から3手目まで)

■3手目の端歩
 8時52分、森内名人が上座に座る。続いて8時54分、挑戦者羽生王将(竜王・王座)が下座に。
 両者が駒を並べ終え、正立会人の丸田祐三九段の合図で対局が始まる。
 先手は挑戦者羽生王将。初手は▲7六歩だった。森内は△8四歩。「名人は後手番の居飛車に自信があるのではないでしょうか」とは副立会人の島朗八段のコメント。
 そして羽生の3手目は▲1六歩だった。控え室にどよめきが起こる。振り飛車党が藤井システムを見せるのであればそれほど珍しい手ではない、とは言える。羽生の作戦は振り飛車なのだろうか。

△3四歩▲6六歩△8五歩▲7七角△1四歩(4手目から8手目まで)

■序盤の駆け引き
 森内の△3四歩に対して羽生は▲6六歩。「羽生将棋は指し手の整合性を重視します。これは振り飛車になるでしょう」(島八段)。森内は△8五歩と飛車先を決める。羽生▲7七角。対して森内は△1四歩。「早くも穴熊の可能性が薄くなりましたね」(島八段)。

▲6八飛(9手目まで)

■羽生、再び四間飛車
 ▲6八飛。羽生は第3局に続いて四間に飛車を振った。島八段の事前の予想は「羽生さんの振り飛車以外だと思っていました」。羽生の先手番での振り飛車は珍しい。

△6二銀▲3八銀△4二玉▲7八銀(10手目から13手目)

■順位戦の予想記事
 居飛車側の森内の作戦は「どうなるか全くわかりません」(島八段)。穴熊の可能性だけは薄いようだ。
 控え室ではB級1組の展開予想の話題が。今期はまれに見る大激戦が予想されるそうで、順位が下位の場合、5勝7敗でも危ないのではないか、との声も。
 前日、盤駒の検分を終えた羽生王将が控え室に立ち寄った際、テーブルの上に置かれた「週刊将棋」を見て苦笑をしていた。恒例の、順位戦予想記事が掲載されてあったからだ。「村山君(聖九段)は、名前を挙げられるのを嫌がっていましたね」と羽生が笑う。将棋界では「週刊将棋」で昇級、挑戦予想の候補に挙げられるとなぜか成績がよくない、という有名なジンクス(?)があるそうだ。羽生自身、1997年の名人失冠後、常にA級優勝を本命視されてきながら、なかなか結果を残せなかった。
 来期の名人挑戦者を目指すA級順位戦は名人戦の日程に関係なく、もうすぐ始まる。

△3二玉▲6七銀△5四歩▲5八金左(14手目から17手目)

■「将棋魂」
 まだ類局の多い局面。どんな展開になるかははっきりしない。
 控え室では記者の間で、新聞の観戦記に関する話題。将棋を知らない人に切り抜きを頼むと、切り方がいい加減なのですぐわかる、という笑い話に。「将棋が好きな人は、愛情をこめて、きれいに切りますからね」。島八段はほぼすべての新聞に掲載されている観戦記をチェックしているそうだ。「観戦記はプロでも勉強になります」。研究の同士である佐藤康光棋聖や室岡克彦七段も同様という。
 島八段は佐藤棋聖に色紙を頼み、家に飾っているそうだ。揮毫は「将棋魂」。他に室岡七段が持つだけで、世界に2枚しかない存在しない。佐藤棋聖のスピリットをこれほど直截に伝える言葉はないだろう。
 1年と数ヶ月前、佐藤は棋王戦五番勝負と王将戦七番勝負に挑戦者として名乗りを挙げた。待ち受けるのはいずれも羽生。同時進行で進んだ両タイトルマッチは、平成の名勝負と言われた。結果は佐藤から見て棋王戦1勝3敗。王将戦4勝2敗。佐藤は羽生から王将を獲得した。それから1年後、佐藤王将の前に挑戦者として現れたのはまたもや羽生だった。結果は佐藤の4連敗。続く名人戦挑戦者決定戦では、やはり羽生と対戦して敗れた。その名人戦で、今度は森内が3連敗で追い込まれている。

△5三銀(18手目)

■3連敗の後
 羽生の▲5八金左を見て、森内の指し手が止まった。「類局が多い」と書いたが、1筋の突き合いがあるため、同一局面はほとんどない。森内はここまで3連敗。前期名人戦で森内は挑戦者として登場し、丸山忠久名人を3連勝で追いこんだ。今期は皮肉にも、逆の立場で第4局を迎えた。約40分考え、△5三銀。持久戦志向と思われる一手である。
 本局の正立会人は丸田祐三九段。丸田九段は今から42年前の1961年、第20期名人戦で大山康晴名人に挑んだ。当時41歳。大山名人は38歳だった。結果は丸田九段が序盤3連敗。1勝を返したが次局に敗れ、1勝4敗で名人獲得はならなかった。大山は名人の他に当時の全タイトル(王将、九段、王位)を合わせ持ち、長い絶頂期の途中にあった。
 「0-3から勝てるんなら、0-3にならないもんね」と丸田九段は笑う。将棋界では七番勝負において、3連敗から4連勝した例は一度もない。3連勝で相手を追いこんだのはほとんどの場合、木村義雄、升田幸三、大山康晴、中原誠、谷川浩司、羽生善治といった、圧倒的な力量を持つ棋士だった。

▲4六歩△7四歩▲4八玉△5二金右▲3九玉(19手目から23手目)

■早い指し手
 1日目の午前中にもかかわらず、大盤解説場には多くのファンが駆けつけている。NHK衛星放送の解説担当・青野照市九段と副立会人・島八段が解説にあたる。本局は先手羽生の藤井システム模様。居飛車側が穴熊に組むのを牽制しようとしている。ただし居飛車側は1筋を突いている形なので、すでに穴熊にはしにくい。▲4六歩は藤井システムには必要な一手。この手を見ると居飛車党は△5五角と出たくなるようだ、とは本家の藤井猛九段の言葉(島八段の解説)。4七に金や銀を上がらせ、藤井システムをはずそうとする意図もある。次にもし△7四歩なら昼食休憩後だろう、とは青野九段の言葉だったが、その△7四歩を森内はすぐに指した。今期名人戦、序盤における森内の決断は早い。△7四歩と突かれ、急戦を見せられたら▲4八玉と上がるのが本戦法の呼吸。羽生の指し手も早い。

△6四銀(24手目)
■森内、急戦に出る
 消費時間10分弱。森内は△6四銀と出て急戦の態度を明らかにした。まだ昼食休憩前である。前局に引き続き、羽生の振り飛車対森内の居飛車急戦となりそうである。
 控え室でデータベースを検索すると、同一局面は35局。結果だけを見ると先手番・振り飛車側の9勝26敗(!)だそうである。意外とも思える居飛車側の高勝率。「有力な戦法ですね。森内さんはこの作戦で行こうと決めてきたのでしょう」(島八段)。
 12時30分、羽生の手番で昼食休憩に入った。

▲2八玉△7五歩▲7八飛(25手目から27手目まで)

■記録係
 再開後、羽生はしばらく考えつづけた。
 本局の記録係は野島崇宏三段。昼食休憩の際、若者らしい、見事な食べっぷりを見せてくれた。そんなに食べて眠くならないかな、とはいらぬ心配か。眠くなるとは何事、と思われる謹厳な方はおられるだろうが、記録係も人の子である。郷田真隆現九段は奨励会の頃、谷川浩司現王位の記録を取っているときに眠くなってしまい、谷川から扇子でたたかれて起こされたことがあるそうだ。またある四段(既にプロになっていた)はあるタイトル戦で記録を取っているときに、ついうとうとしてしまった。次の瞬間、羽生に扇子で机をたたかれ、その音で起こされてびっくりしていた、とはある記者の証言。
 記録係に関する逸話は多い。記録係の中原誠三段の素質を見抜いた大山名人は、「あの子が私のタイトルを取りに来る」と予言した。米長邦雄三段は、大山名人が気づかなかった詰み筋を感想戦で堂々と披露した。
 1954(昭和29)年、第13期名人戦第2局(▲大山康晴名人-△升田幸三八段)戦で、時間が切れるという事件が起こった。名人戦で時間切れとなったのは、後にも先にもこのときだけ。升田が指す前に記録係が「10」を読んでしまったのだ。将棋自体は升田勝勢だった。記録係は賀集正三三段(現六段)。終始正座を崩さず、トイレにも行かない(水分を取らないようにしていたそうだ)名記録係として知られていた。同じ期、今度は14歳の少年が記録係を務めた。時間切れ事件以後のこと、対局室にはピリピリとした空気が張り詰めていた。その中で少年は対局者の長考中、似顔絵を描いて過ごしていたという。少年の名前は加藤一二三。史上最年少の四段としてデビューを飾る直前だった。わずか6年後、少年は史上最年少の挑戦者となり、20歳で名人戦の舞台に登場する。
 14時7分、羽生の▲2八玉の駒音を聞き、控え室では再び検討がはじまった。

■『島ノート』
 △6四銀と上がった局面は定跡最前線。現代将棋界のテーマ図のひとつともいえる。熱心な方は、島八段渾身の著作、『島ノート』(講談社)を参考にしていただきたい。△6四銀に対して▲7八銀と引く形は「銀引き定跡」として詳細に解説されている。
 本局では羽生は▲2八玉から▲7八飛を選択した。同一局面まで進んだのは19局。結果は振り飛車の3勝16敗(3勝は、いずれも久保利明新八段)。振り飛車側にとってあまりよくないと見られていた変化だが、羽生には当然新対策があるのだろう。
 ▲7八飛の次、△7六歩▲同銀からどうするか。そこから(1)△7五歩と押さえるのか、あるいは(2)△7二飛と回るのか。このあたりの変化は千葉幸生四段が詳しいそうだ。「千葉君に聞いてみましょう」(島八段)。ある記者が千葉四段に電話するが、つかまらなかった。

△4二金寄(28手目)

■箱入り娘
 森内が指したのは△7六歩ではなかった。△4二金寄。居飛車は「箱入り娘」と呼ばれる囲いとなった。
 今年行われた小学生名人戦で、ある少年がこの「箱入り娘」を採用した。勘違いをしていた聞き手の女流棋士が、「嫁入り娘」と呼んでしまった、というのは笑い話。解説は森内名人。「森内さんは原点に戻って、小学生名人戦の将棋を参考にしてるんじゃないんですかね(笑)」(島八段)。21年前、小学6年生だった森内は同大会で3位に入賞した。解説は20歳の新八段、谷川浩司。優勝して小学生名人となったのは、同じ学年の羽生善治少年だった。

■所司流
 △4二金寄の局面は所司和晴六段の得意形。このあたりの変化は所司和晴六段の著作、『東大将棋』シリーズ(毎日コミュニケーションズ)に詳しい。所司六段は実戦でも勝浦九段、千葉四段を相手に勝利を挙げている。進行の一例をあげると、▲5六歩△5五歩▲5七金△7六歩▲同銀△5六歩▲同金△5五銀▲同金△同角。こうなれば居飛車が調子がいい。

■森九段の検討
 継ぎ盤の振り飛車側に森けい二九段が座る。控え室では▲5六歩△5五歩に対して▲5七金ではなく、▲7五歩と取る手が有力なのではないかという検討がされていた。以下△5六歩▲7四歩△5二飛▲6八角。この順は実戦例がある(▲中田功六段-△塚田泰明八段