2008年3月31日
2008年3月30日
2008年3月29日
春宵酔眼
3月26日(水)
夕方起きて朝までPCに向かったり、本を読んだりという日々。
昼、電話で起こしてもらい、中倉宏美さん、島井さん、出原さんと駒込のデニーズでランチ。島井さんは最近結婚式で下関に行ってきたそうで、その話など。唐戸市場に行った後秋芳洞に移動というスケジュールは、地元民の目からすればどうかとも思われたが、よく考えたらそう遠くでもないか。
夜、知人とアザレア通りでとんかつ。店の名前がよく思い出せない。駒込のとんかつ屋といえば「PDG」でも紹介された「とんき」が有名。そういえば最近たまたま入った新宿駅西口の「豚珍館」はコストパフォーマンスが高く、おすすめです。
3月27日(木)
夕方、対局が終わったばかりの上川さんから電話。鳩森神社にて缶ビールを開け、花見をする。そのままジェイ・クックに移動し、ワインを1本。ところで最近会った方に「よいざむらいびより、あれは面白かったですね」と言われた。
3月28日(金)
夕方、棋王戦第5局をネットで観戦。佐藤棋王が羽生挑戦者の挑戦を退けて防衛。
夜、駒込駅北口近く、本郷通りのシャンティに。キーマカレーを頼む。渡辺明ブログを思い出し、ナンにしようかとも思ったが、結局ライス。ずいぶんと辛かった。
2008年3月28日
幻庵
北条長綱(1493~1589)は初代・早雲の三男で、二代・氏康の弟。一族の五代百年を見た人で、家督を譲ってからは幻庵宗哲と称した。その名前が奇しくも表す通り、後北条氏の興亡は、白昼の幻のようにも思える。
囲碁の井上因碩(1798~1859)は井上家の十一代目で、一般に幻庵因碩と呼ばれる。盤上、盤外にわたる本因坊家との争いに末に、ついに名人碁所になれなかった。囲碁の世界では「幻」のように、形而上的、観念的で色彩鮮やかな字がさほど大げさに感じられない気がする。
将棋界で幻庵といえば5世名人二代伊藤宗印(1655~1723)。「幻」の字は「玄」とも書く。何かの文献で読んだが、宗印自身は「玄庵」を使っていたようだ。確かに将棋の世界では、「玄」の字の方がしっくりする気がする。
2008年3月27日
2008年3月25日
浅草花やしき
3月25日(火)
午後、浅草に。最近仕事を辞めたという知人と待ち合わせ、花やしきに。浅草には何度も来たことがあるが、ここに入ったのは初めてです。平日のひなびた感じをイメージしていたが、学校が春休みということもあって、ずいぶんとにぎやかだった。
2008年3月23日
2008年3月22日
春休み気分
3月19日(水)
午後からずっとLPSA駒込事務所。アザレア通りのフラワーショップで買った、アザレアの花を飾ってみた。
3月20日(祝)
新宿の東京厚生年金会館にて第1回ペア将棋選手権。詳しい模様はこちらをご覧ください。関係者の皆さま、大変お世話になりました。今年度最後の大きな仕事が終わって、春休み気分。
3月21日(金)
旅に出ようかと思いきや、午後からずっとLPSA駒込事務所。
3月22日(土)
春らしい陽気の一日。午後、サロンにてキッズスクールの撮影。
明日から電車に乗って、どこか旅に出ます。
2008年3月19日
2008年3月17日
春の夜の夢
3月17日(月)
夕方、新宿から小田急線に乗り、鶴巻温泉の陣屋へ。徹夜明けでぼんやりしていて、相模大野で小田原方面に乗り換えるべきところ、しばらく藤沢方面に向かったところで気がついた。
陣屋では4月3日、第1期マイナビ女子オープン五番勝負第1局がおこなわれる。過去に他棋戦でネットワークカメラを使って中継されていたこともあり、ネット環境は特に問題ないように思われた。
ところで陣屋は、鎌倉幕府創設前後で活躍した和田義盛の別邸。源頼朝が覇権を握ってからの幕府内での権力闘争は決して楽しい物語ではないのだが、これを機にまた平家物語や吾妻鏡を読んでみようかと思った。
写真は下関、壇ノ浦。上はみもすそ川公園の源義経像。下は赤間神宮(旧阿弥陀寺)の耳なし芳一像です。
2008年3月16日
営業終了
結局安吾を読んでいるうちに眠くなった。寝てきます。
春先のイベント
3月16日(日)
昼頃起床。外に出て、駒込アザレア通りに。昨日に引き続いて春らしい陽気で、フラワーショップの軒先には、赤いアザレアの花が並べられていた。古本屋にてちくま文庫の「坂口安吾全集(17)」などを買う。寝転んで安吾巷談や安吾史談を読んで過ごしてもよさそうな休日だが、確定申告をまだ済ませていないのでそうもいかない。「キッチンNORI」で遅いランチの後、あきらめて領収書の山に取り組み始める。税理士事務所に勤めている妹に丸投げすれば話は早かったのかも知れないが、自分の経済状況を振り返る貴重な場のように思えてスルーしてしまった。明日のスケジュールは午前中に渋谷税務署に行き、すっきりした気分で夕方には陣屋なのだが、はたして。
2008年3月15日
桜咲く前
3月15日(土)
花粉症にはヨーグルトがいいと聞いて、毎日コンビニで買うようになった。リラックママグカップのポイントシールがついていれば、あっという間にたまるだろう。ただし体質改善にヨーグルトの効果が現れるのは、ずいぶん先の話らしい。
夜、上川、佐藤裕美、斎藤Dというメンバーで駒込「田んぼ」に。上川さんは言うに及ばず、サトヒロさんもD君もよく飲む。今度南の島に行くという上川さんは、今日水着をはいてみて、入らないのに愕然としたという。だったら先生、いまこの瞬間に飲み食いしている場合ではないのでは……。いまレシートを見てみるとビールの後、自分以外の3人で焼酎を二十杯近く頼んでいる計算だ。まだ桜も咲いていないのに、大丈夫かね。その後店を出て、今度はラーメンに餃子とは、素人目には悪手に悪手を重ねているようにしか見えないのだが……。まあいいや。帰ったらデザートで、カステラでも食べてください。
春うらら
3月15日(土)
11時半頃、知人とランチで「シンパンツェ」に行く。少し早かったようで、開くまでの時間で、近所でナンバーズ4とロト6を買った。
午後、遅ればせながらホワイトデーの何かを配り始めようと思い立つ。全部で十数人分。ほとんど職場関係ですけどね。小考の結果、福砂屋のカステラというあまり色気の感じられないセレクトになった。中目黒に住んでいたときには目の前に福砂屋の工場があり、贈答用によく買いに行ったものだ。せっかくの春らしい陽気でもあり、目黒川沿いの写真を撮りながらの散歩も考えたのだが、結局面倒になって池袋の百貨店に。ビックカメラでデジタルビデオカメラと新しいPC用のマウスも買って散財した。
2008年3月14日
道策と宗看
囲碁の名人である本因坊道策(1649~1702)の出身地は石見で、たとえば地元で配られているこちらのパンフレットを見てもわかる通り、大いにその旨が喧伝されている。王将戦第5局で石見滞在中の折には、何度も道策の名を目にしたものだ。道策を生んだ邇摩郡馬路村の山崎家は、元は毛利の臣下である松浦家。こちらのページなどにも記されている通り、山崎家からは3世井上因碩(~1697)と10世井上因碩(1784~1829)をも輩出している。京や江戸から遠く離れた石見の地からこれらの俊英が現れたのは、銀山経営のため幕府が直轄の天領としており、棋譜などの情報が入りやすかったため、と解釈するのが自然であろうか。時間がなくて馬路には行けなかったのだが、もしまた石見の地を訪れることがあれば、足を延ばしてみたい。
将棋の名人である伊藤宗看(1618-1694)の出身地は石見の隣り、出雲と伝えられている。昔少し文献をあたってみたことがある(将棋パイナップル:3世名人初代伊藤宗看)のだが、惜しいことに本因坊道策とは対照的に、詳しいことは何もわからない。囲碁界では道策や秀策など、江戸期の打ち手の技量が今でも高く評価されるのに対して、将棋界では初代宗看の棋譜や詰将棋を研究するのは、ごく一部のマニアのみ。先人や古典が尊ばれるか否かはゲーム性の違いも大いに関係するところであろうが、さびしい話ではある。
2008年3月13日
花の季節
3月11日(火)
C級1組最終局。阿久津六段と豊川六段が8勝2敗で昇級。次点は同星ながら順位下位の安用寺五段。降級点をめぐる争いも大変なドラマだった。
午前2時過ぎに将棋会館を出て、安用寺五段、片上五段、上地さん、銀杏記者とともに近所のイタリア料理店に行き打ち上げ。4時過ぎに解散。
3月12日(水)
くしゃみと鼻水が止まらず、目がかゆい。これはどうも花粉症デビューか。将棋会館を出て、少し仕事を片付けて帰ろうとジェイ・クックに行く。アイスコーヒーを飲みながら、敦子さんと花粉症談義。諸先輩のアドバイス、大変参考になります。ジェイ・クックはちょうどランチの時間。たまたま升田幸三元名人の次男と同じ職場だったという方とお会いした。鷺宮の升田邸まで遊びに行ったこともあるそうで、驚いた。
午後、駒込に戻り、さつき通りの薬局で目薬を買う。LPSA事務所に少し顔を出した後、家に帰って熟睡。目を開けてられないので、電話がかかってきて起きる以外にはずっと寝続け、今起きてみると午前3時だった。
2008年3月11日
2008年3月10日
ワルボロ
3月9日(日)
昨日立川に行った帰り道、駅前のオリオン書房にてゲッツ板谷『ワルボロ』(幻冬舎文庫)を買った。これが直木賞クラスではないかと思うぐらいに面白く、あっという間に読み終わった。機会があれば、実写版も見てみたい。
ところで自分は周りから、若くして亡くなった叔父の話を聞かされて育った。その武勇伝は小説になるのではないかと思うほどに凄まじい。『ワルボロ』で立川の朝鮮中学の話が出てくるように、叔父は小倉の朝鮮高校に一人で乗り込んでいったというのだから無茶苦茶すぎる。もし自分が1970年前後の下関の話を書くとすれば、松田優作もいいけれど、この一度も会ったことのなかった叔父を主人公にしてみたいと思う。
2008年3月 9日
2008年3月 8日
B級2組最終戦
夜、ネットで戦況をチェックした後、将棋会館に。昇級候補の屋敷九段、山崎七段、土佐七段は総じて苦戦の様子。その中で▲中村修九段(6-3、10位)-△山崎七段(7-2、7位)戦は、山崎七段の劇的な逆転勝ちだった。さてその一局を並べたある棋士は、納得しかねるという様子。「これはないよ……。こんな将棋を勝って上がるなんて……。山崎君は昇級を辞退するべきだ。今期は昇級ゼロにしよう。その代わり来期4人でどうだ」。キャリーオーバーを提案して、控え室は大笑いとなった。
自分が担当した一局では、8回戦の山崎七段-飯塚六段戦が印象深い。総手数191手。もう終わりだろうというところから形勢が何転したかわらかない、深夜の激闘だった。
▲佐藤秀司六段(5-4)-△屋敷九段(7-2、4位)戦は屋敷九段の負け。ただしその前に▲土佐七段(7-2、17位)-△松尾七段(6-3、20位)戦が終わり、土佐七段が敗れていたため、屋敷九段の昇級が決まっていた。実力伯仲のこのクラスではしばしば昇級ラインが下がり、7勝3敗で通過ということがある。屋敷九段はC級1組時代に常に好成績を収めながらも、終盤で不運に見舞われたケースが多いかった。今回はその逆のパターンとなったか。
さて今期順位戦も残すところ、C級1組とB級1組の2クラスのみ。自分は来週11日(火)、C級1組を担当します。