2007年7月31日

ストラップ

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ミサンガ

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2007年7月30日

I'll Be Watching You

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 7月30日(月)

 朝、まだ原稿が終わらないまま(大丈夫か?)将棋会館に。朝日杯一次予選1回戦、金沢五段-中井女流六段戦の中継。ネットがなかなかつながらず、またもや冷や汗。スプリッタ内で断線という難易度の高いトラブルだったようだ。結果は金沢五段の勝ち。
 昼、古作さんに昼食をごちそうになった後別れ、駒込のLPSA事務所に。パーティーの後ゆえモノが散乱していて、一昨日までの修羅場を思い出した。
 夕方再び連盟に戻り、ネットワークカメラの実験。毎日新聞の牧野さんのおかげで、大分スキルが上がってきたようだ。「松本さんってただでさえ暑苦しいのに、スーツを着るとさらに暑苦しいよね」(LPSA某女流棋士)と言われながらも働く、自分のけなげさに泣ける。

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round girls

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 7月29日(日)

 朝5時頃、王座戦の中継スタッフと別れ帰宅。すぐに意識をなくす。
 午後、雷の音で目が覚める。外に出る頃には雨がやんでいた。ジェイ・クックにて敦子さんと参院選の話などをしながらランチ。
 夕方、社団戦のLPSAブースに写真を撮りに行く。島井さんと中倉宏美さんがラウンドガール風にパネルを掲げていた。上川さんとビールを飲んで行きたいところだったが、月末締切の原稿があるため失礼。帰り道にて京番茶のアイスクリーム。
 夜、ひえじまさんとチャットをしながらLPSAページを更新。明日は朝日杯の中継です。

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2007年7月29日

リボン

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多くの祝祭に

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 7月28日(土)

 朝3時に起きるつもりだったのだが、気づくと5時で、空が白んでいた。あわてて駒込のLPSA事務所に行き、最後の準備をして、新宿京王プラザホテルに行く。ついにこの日が来たか、と感慨に浸る暇は一瞬もなく舞台表ではいくつか、裏では多くのアクシデント発生。反省しきりです。しかしながら皆さまのお陰で日レス杯、記念パーティーともに大盛況でした。本当にありがとうございました。

 パーティー撤収後、王座戦女流一斉対局を見学に来ると、すでに検討が終わっていた。

2007年7月27日

パーティー前日

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 7月28日(金)

 前日から起きていて、倒れる寸前です。13時頃、炎天下の秋葉原に。コンクリートの街を歩き、寝不足もあって殺伐とした気分になる。最新モデルのネットワークカメラを買って、弊社所有台数は3台となった。歩き疲れたショップの帰り、脈絡もなく「大塚で生まれた女」というフレーズが頭に浮かぶ。竹橋の毎日新聞に寄り、アイスクリームをもらう。いま駒込に帰ってきて環境設定をしながら、セルフポートレートを撮ってみた。

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涼風の中の日々

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 7月26日(木)

 前日から駒込。13時頃、炎天下の新宿に。コンクリートの街を歩き、寝不足もあって殺伐とした気分になる。「☆夏はお部屋で将棋です☆」という涼しげなタイトルを思い浮かべながら、ジェイ・クックに寄ってキウィのシャーベットを頼む。帰ってアパートにて熟睡。
 起きて18時頃、またジェイ・クックに。敦子さんに「今からまた駒込」と言って、LPSAの事務所へ向かう。神宮前での生活も、残りわずか。

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March comes in like a lion

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 セブンイレブン駒込駅東口店にて、「ヤングアニマル」7月27日号を買ってきた。零君がいた前の高校では何があったんですかね。そこには冒頭で「ヘンな名前ぇー」とか言ってたいけすかない女がいたのかも知れない。零君はその女のことがまだ好きなのだろうか。早くも他に気立てのいい娘が登場してるんだからそっちにしとけばいいのに、などと思いながら「デトロイト・メタル・シティー」まで読み、おじさんは仕事に戻ります。

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2007年7月26日

名店再訪

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 7月25日(水)

 葛西臨海公園の帰り道、久々に品川のイレブンフーズに寄ってみた。みんな大好きイレブンフーズ。着いたらちょうど朝8時の開店時間。洗濯機で洗ったキクラゲを見て、徹夜明けで通っていた日々を思い出した。

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Desperado

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Desperado, why don't you come to your senses?
Come down from your fences, open the gate
It may be rainin', but there's a rainbow above you
           ――Don Henley, Glenn Frey

忘れがたない、虹と花

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忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花
どこにまぎれてゆくのやら (中原中也)

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クローバー

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 羽海野チカさんにはじめてお会いしたのは、去年の名人戦第2局のとき。「これとかハチクロ的じゃないですか?」とか言いながら、うれしくなってずいぶんいろんな写真を見てもらった気がする。

 羽海野さんは「ハチミツとクローバー」の連載を始める前、スピッツの「ハチミツ」とスガシカオの「クローバー」を繰り返し聴いていたそうだ。昔、CM音楽ディレクターの知人が、スガシカオさんの楽曲を初めてCMで使ったと言っていた記憶がある。自分もその知人の部屋で、ずっと「クローバー」を聴いていた。

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2007年7月25日

始発の京葉線

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 東京駅まで歩いた後、4時55分始発の京葉線に乗る。京葉線や武蔵野線に乗ると、関八州のまだ見たことのない土地の多さに、茫漠たる思いがする。
 電車の窓から外を見ると、葛西臨海公園駅の手前、東関東道向こうに朝陽が見えた。

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深夜の散歩

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 7月25日(水)

 仕事が一段落した午前2時頃、散歩に出かける。青山通りを東に向かって歩く。
 3時頃、赤坂御用地、赤坂警察署のあたりで街路樹を撮っていると警官に呼び止められる。よくある。
 下は左が皇居、右が桜田門の警視庁あたりです。

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 夜明けの海辺の写真が撮れないかなと思っていたのだが、日比谷公園のあたりで空が白みはじめた。

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早朝の観覧車

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2007年7月24日

ジェイ・クック坂

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 夕方、仕事も一息ついて涼しくなったところで外に出る。アパートを出ればジェイ・クック坂で(勝手に名づけた)、坂の途中左手には財務省印刷局の宿舎があり、その先がtwiggy。その右手奥半地下がジェイ・クック。上りきれば外苑西通り。

東京都渋谷区神宮前3-36-26

 いま地図が表示されるよう、mapperプラグインを入れてみた。そのうちすべてのブログには同種のサービスが標準装備されるようになるのでしょうね。

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裏原宿の夏

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 7月24日(火)

 ランチで外に出てみると、あまりの暑さに未来にタイムトリップしたのかと思った。世界も少しひずみが生じているようだ。そうして一瞬外に出た以外は、朝からずっと神宮前のアパートにてパソコンの前に座っている。意識が朦朧としています。「桃山城で苛々(いらいら)している秀吉と、アパートの一室で、朦朧としている私とその精神の高低安危にさしたる相違はない」と思えば坂口安吾風だが、それにしてもこの部屋、晴れた夏の昼間はクーラーなどつけても暑さはさして変わらず、直射日光で照り焼きになることがはじめてわかった。ついに3年間カーテンを掛けることがなかったせいだが、と書きながら昔人からカーテンをもらって押入れの中に入れっぱなしだったことを今思い出した。それは駒込の新居で活躍してもらおう。

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三等郵便局

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風景入りスタンプの中の若い三等郵便局長R氏はいつも海ばかり見てゐる。
 どの異郷人(たびびと)も
 どの異郷人(たびびと)も
海へゆく方向(みち)を尋ねる                   ――六條篤

2007年7月23日

観覧車

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「CONTINUE SPECIAL」ハチクロ特集号グラビアを見ていて、また葛西臨海公園に写真を撮りに行きたくなった。今度は晴れてるときがいいですね。

逝く夏の歌

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風はリボンを空に送り、私は嘗(かつ)て陥落した海のことを 
その浪のことを語らうと思ふ。      ――中原中也

ポジティブシンキング

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 7月23日(月)

 今週28日(土)は日レスインビテーションカップと、王座戦の女流一斉対局が重なったため、中継スタッフの割り振りでずいぶんと考えさせられた。まあでも、こういう機会があると勢いで新人の勧誘がしやすくはなりますね。で、いまその両方の中継の準備をしています。当日は王座戦の現場に行く時間はなさそうなのですが、どちらも盛り上がるといいですね。

Anywhere I Lay My Head

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Well I don't need anybody, because I learned, I learned to be alone
Well I said anywhere, anywhere, anywhere I lay my head, boys
Well I gonna call my home            ――Tom Waits

2007年7月22日

裏原宿の休日

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妻の小言☆」を読んでいて思い出したが、東芝製の携帯で「つのだひろ」を変換すると「つのだ☆ひろ」になるらしい。自分もたまにメールで☆を使う。ハチクロ風味で、半ギレ気味のときだけですけどね。「しねばいいのに☆」とか。

 近所に「RED dot ORIGINAL」というアイスクリームの店ができていた。

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2007年7月21日

Life is cool

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 7月21日(土)

  来週のLPSA記念パーティーが始まる前、マクドナルドにビデオカメラを置き忘れていく微妙にリアルな夢を見る。BGMにはキング・クリムゾンの「21st Century Schizoid Man」が流れ、いやな汗をかいているところに、石橋さんから電話。会場の京王プラザホテルで打ち合わせをしているそうで、いくつか確認をされる。皆さん毎日朝からおつかれさまです、と思えば二度寝もできず、とりあえず起きて外に出る。
 昼、ジェイ・クックにてランチ。オクラの浮かんだ冷たいコンソメスープが見た目涼やかだった。
 午後、連盟にてある撮影を少しだけ見学。連盟にいたときに提案した企画で、まさかこれが通るとは思わなかった。
 若手棋士の某君とボナンザとの死闘15番勝負を観戦した後、「月刊!順位戦」の撮映を終えた北尾さんとジェイ・クックに。アイスコーヒーを飲みながら来月のワンデートーナメントの話など。どうでもいいがかかってくる電話や届くメールは関係者からの連絡や仕事の催促ばかりで、甘い言葉はひとつもない。

石橋さん連勝

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 7月20日(金)

 紬記者と朝日杯中継。詳細はLPSAのページをご覧ください。結果はLPSAの看板娘・石橋女流四段が大野六段と森九段を破って2連勝。驚きました。

 終了後、家に帰って熟睡。順位戦を見に行こうかとも思っていたのだが、起きたらすでに午前3時過ぎだった。

2007年7月20日

蜜柑

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2007年7月19日

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賀茂島

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アップルパイ

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オーロラ輝子

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朝のパーキングエリア

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ラチエン通り

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2007年7月18日

熟睡明け

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すみません、さっきまで寝てました。
これから駒込行ってきます。

順位戦中継明け

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久々に登板したら、C級2組2回戦の高野五段-村中四段戦が持将棋指し直しになりました。将棋会館の5階から、この風景を何度見てきたことか。

2007年7月17日

旧古河庭園

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2007年7月16日

つばめ

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One swallow does not make a summer.
一羽のつばめが来ても夏にはならない、と言うが、5月の終わり、伊勢の町では無数のつばめが飛びかっていた。

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赤福

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 名人戦第3局で鳥羽に行った帰り、伊勢内宮参道の赤福本店に寄ってきた。

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 詳しくは赤福のサイトに書いてある通り、「餡の上につけた三筋の形は、神宮神域を流れる五十鈴川の清流」を表しているそうだ。三百年の歴史は奥が深い。

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 三百年展では歴代CMが放映されていて、これが面白くて見入った。その中のひとつ、赤太郎がかぐや姫に、「ほほほ、その顔で」とフラれるバージョンがある。赤福フリークの星野ルンルンさんからは、以下のメールをもらった。

「赤太郎は恋愛には向きませんが結婚すると幸せにしてくれるタイプなのに。姫だけに顔は多少可愛いかもしれませんが、見る目の無い人ですね。後でそれに気付いて気まずくなったから慌てて月に逃亡したのでしょう。なんで彼女が突然月に帰ったのか長年謎のままでしたが、今日ようやくスッキリしました。ありがとうございます。(笑)」

 最近諸事涙もろくなっているせいか、いろいろな意味で泣けてきた。

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2007年7月15日

1998年4月前半(抄)

4月1日(水) エイプリルフール

明け方までTの引越しを手伝う。寮に帰って、夕方まで寝ていた。みぞれまじりの雨が降る中、傘をさし、家庭教師先の家に歩いて行く。一緒に数学の問題を解いていると、いつのまにか3時間過ぎていた。先月分の給料をいただく。帰るとTより電話。1年分のステキな言葉を言ってほしい、とTは言った。とっさに気が利いた言葉が思い浮かばず、Tはつまらなそうな声をした。

4月2日(木)

10時前に起きる。本郷に新学期の手続きに行く予定だったが、眠くて、寝ていた。夕方に起きる。目黒か赤羽の二郎に行きたくなるが、最近外食ばかりだったな、という政策的見地から自炊をするべく買い出しに行く。スパゲティかカレーかという選択になるが、ほうれん草が一把100円と安かったので、いつものようにスパゲティ。100グラム100円の鶏肉を100グラムとハインツのホワイトクリームソースを買い、いつものように何も考えないで鶏肉とほうれん草のスパゲティを作る。テレビをつけると、高校野球はもう終わっていていて、夕方のニュースを見ながら、食事をする。セクハラ訴訟にまたもや耐え抜いた、アメリカの大統領の打たれ強さに感服する。
20時頃、Tより電話がある。今日は友人の家に泊まりに行くとのことだった。再び布団に入って、気付いたら、再び寝ていた。Jじいさんと将棋を指す夢を見た。Jじいさんは田舎の島の、将棋の最初のライバルだった。Jじいさんの家には、硫黄島の激戦を歌った、自作の歌の歌詞が、飾ってあった。2年前の大晦日に帰省した時に、ちょうど亡くなった。夢の中の将棋の局面は、Jじいさんのぼやきを聞いているうちに、いつものようにこちらが勝勢になり、気付いたら、将棋盤が片づけられていた。帰って風呂に入ってからもう一度来ると言い残して、Jじいさんが消えていったところで、ファンヒーターの音が聞こえて、起きた。時計を見ると、23時過ぎであった。

4月3日(金) もんじゃ二郎

夕方本郷に新学期の手続きに行くも、「留年した人は来週からです」と教務課のお姉さんに言われる。せっかくこんな遠くまで来たのだから、と思い、南北線に乗って志茂駅で降り、「二郎」赤羽店に行く。1階のラーメンの方は閉まっていたので、2階の「もんじゃ二郎」に行く。豚は「二郎」の、ラーメンに入っている豚。量が1.5倍の学生もんじゃ(580円)等のメニューもあったが、ラーメンの方も食べて行く予定で、コーン入りのお好み焼きを頼む。これが680円。開店の18時の5分前から前のベンチに腰掛けて、待つ。一番のりであった。新宿で将棋を指した後、Rの部屋に遊びに行く。使い慣れないMacの設定に、悪戦苦闘した。

4月4日(土)

昼前に起きて、西日暮里に将棋を指しに行く。終了後、「ジュリアン」という鶏をメインに出す店で、花見の代わりの飲み会をする。RのいないRの部屋に行き、「ネットスケープコミュニケーター」の設定をする。今まで使っていたのが「1.12」だから、突然ハイテクマシンになったような気がした。

4月5日(日) 駒場公園

昼過ぎに駒寮に行く。いい天気で、北寮の前ではOBを中心にして、花見をやっていた。Tが買ってきた何とかという黄色い花を、北寮の入り口のところに植える。Tは角材の切れ端に「秘密の花園」と書いて、それを立てていた。腹が減ったが、日曜日なので店が多く開いていない駒下の代わりに、Tと裏の「フレッシュネスバーガー」に行くことにする。その場で絞ってくれたオレンジとレモンとグレープフルーツのミックスジュースは、頭が痛くなるほど、すっぱかった。Tがうさぎがいると言うので、それを確かめに駒場公園に行く。芝生の広場は、花見をする人たちでいっぱいだった。5年前には確かにいたといううさぎを探したが、いなかった。「がさがさ入ってさがすざんす。ワンダーフォーゲル、ワンダーフォーゲル、ワンダーフォーゲール」とよく知らない歌を歌いながら、Tは茂みの中に入っていこうとした。近代文学博物館の方まで探しに行っても、いなかった。
自転車で井の頭通りを通り、三鷹まで帰る。桜がそこかしこに咲いていて、春の服を着た人たちを多く見かけた。どういう意味があってなのだろうか、和服を着た女性を多く見かけた。井の頭公園の前の道路は、花見の帰りの人たちであふれていて、自転車を押して歩かなければならなかった。中国からの留学生、Uさんを久しぶりに見かける。何してたんですか?と聞くと、「僕、結婚したの」とUさんは言った。相手の人は北京の研究所で働いているので、調査もあって、しばらく帰っていたとのこと。それはどうもおめでとうございます、と言うと、「でも結婚しても、いいことなんてないよ。僕、もうみんなから言われているの。お前の結婚は失敗だったって。電話代、1ヶ月に4万円ぐらいかかるの」と満面の笑みを浮かべて、いつものように流暢な日本語で、Uさんは言った。

4月6日(月)

起きると雨が降っていた。カレーでも作るか、と思い、材料を買いに行くつもりで外に出る。ついでだからと思い、NTTの支店まで電話料金を払いに行く。1万120円だった。ついでだからと思い、「テレホーダイ」を解約して、「スピード」が宣伝している「タイムプライス」の案内を見る。プラス200円で昼3分10円が5分10円に、深夜4分10円が7分10円になるというサービス。関東しかやっていないので、露骨に「東京電話」の3分9円を狙い撃ちしているように思える。両者の体力の違いを考えると、果たしてこれは公正な競争と言えるのだろうか、と思いながら結局申し込みをしてしまった。帰り道、誘惑に負けて、「陽陽」で特製ラーメンを食べる。テレビは「徹子の部屋」をやっていて、ゲストの小宮悦子の川越女子高校時代や都立大時代の写真などが映されていた。よく街で声をかけられたでしょう、と黒柳徹子が言うと、はい、と小宮悦子が言った。寮の近くの肉屋で鶏肉を買い、寮の前の「ワタナベ」という八百屋に寄る。ちょうどじゃがいもとたまねぎの激安セールをやっているところだった。今から本郷に行ってきます。

と、ここまで書いて、30分ぐらい横になろう、と思う。これが気持ちよくて、結局18時過ぎまで寝ていた。三鷹図書館に本を返しに行く。三鷹図書館の貸し出しカードは、「ミカエルクン」というカエルが笑っている。古本屋で1時間ぐらい立ち読みをする。BGMに最近どこに行っても流れている「ミルクティー」がかかっていて、将来、この曲を聞いたら、この春のことを思い出すのではないかな、と思う。テキストが一様に文字化けするというトラブルがあり、対応に苦慮するが、Win95を再インストールするのも面倒なので、最新のモジュールをマイクロソフトのホームページからやみくもにダウンロードして、全てアップデートしてみると、いつしか直っていた。ついでなので「MS-IME98」が出ている現在に、「MS-IME97」のアップデートもしてみた。Tより練習でホームページを作ったのだが、アップロードの仕方がわからないとのことで、メールが来る。代わりに少し手直ししてアップロードする。電話をすると、今度はメールの受信ができないという。「もう1回やってみるざんす。レッドスネイクカモーン」とTは言った。もう寝た方がいいざんす

4月7日(火)

本郷に新学期の手続きに行く。 2枚にちぎれぼろぼろになったオレンジ色の学生証を渡し、 新しい黄色い学生証をもらった。 成績表はまだですか?と聞くと、まだ当分先らしい。
文ホールに行くと、M、T、Kなどの学友会の幹部がいた。 進学者に対する入会の手続きを終日していたらしい。 机の上に転がっていた「東スポ」を読むと、昨日やっていた アントニオ猪木の引退試合の特集があった。 昔猪木が参院議員をやっていた時に脱税を告発した秘書の 告発本を読んだことがあるが、 「猪木は俺のスーパースターなんだ。脱税ぐらい、いいじゃないか」 という手紙が来たという下りがあったことを思い出した。 カリスマというのはそういうものだろうな、と昨日の引退試合の中継 を見て、そう思った。

4月8日(水)

朝起きて、東京地裁に行く。書面のコピーなどを取り、少し待って、農林ランチ610円を食べに行った。
皆と別れて、銀座に、前から見たいと思っていた、北野武、「HANA-BI」を見に行く。 何故か「サービスデー」ということで、一般1800円、学生1500円の ところが、一律1000円になっていた。
雨が降りそうだったので、急いで寮に帰って洗濯物を取り込む。 眠くなって、寝る。 起きると、暗くなっていて、外は雨が降っていた。 家庭教師のバイトに行く。 新学期が始まったとのことで、新しい教科書をもらってきていた。 中学2年生の国語の教科書を見せてもらう。 しょっぱなから椎名誠で、次がねじめ正一の「高円寺純情商店街」だった。 進んでいくと、「北の国から」の脚本などもあった 「走れメロス」とか、大岡信とかは、昔の通りだった。

4月12日(日) カレーライス

所持金が40円ちょっとしかないので、ちょっと前の大安売りの時に 買っておいた食材を使って、じゃがいもと玉葱とにんじんだけのカレー を作ろうと思い、じゃがいもを見ると、芽が出ていた。芽だけでなく根まで出ていたので、あきらめてたまねぎとにんじんだけの カレーを作ろうかと思っていたら、ふと鞄のポケットの中に千円札を 入れていたのを思い出す。 近所の肉屋、八百屋が閉まっているので、Nから借りた炊飯ジャーで 米を炊いている間に、自転車に乗って生協まで鶏肉など、 食材を買いに行った。出来上がる頃には、もう「サザエさん」が始まる頃だった。 自分が作ったカレーライスというのは、どうしてこんなにおいしいの だろうか、といつものように思った。

4月13日(月) 大型低気圧

日頃よく利用させてもらっている北寮2Sの大掃除をやるとのことで、手伝いに行こうかなと思っている内に、夜になった。22時過ぎ、自転車で三鷹を出る。日本海側に大きな低気圧があるとのことで、雨が降る前を思わせる、生暖かい、湿った風が吹いていた。その向こうから、花火のにおいがしてくるような気がした。 駒寮に着いたのは23時過ぎ。廊下が水を撒いたように湿っていた。2Sはきれいに片付いていて、もう誰もいなかった。Hの部屋に行くと、新入寮生が入って来ていて、歓迎コンパをやっていた。その新入寮生はスポーツで有名な高校出身だったが、東大に合格したのは彼がはじめてだそうだ。明日より授業があるとのことで、M氏の部屋に場所を移す。S君のお土産の「萩の月」を食べながら、M氏が作ってくれたカシス・ソーダを飲みながら、予想以上に多く来た、新入寮生の受け入れ作業の話しを、昔のことを思い出しながら、聞いていた。小雨が降る中、三鷹に帰った。

4月15日(水) ジャコビニ彗星、武左衛門一揆

高田馬場に行く。さかえ通りの散髪屋で、散髪をする。
三鷹に帰る。Y君のところに、家庭教師のバイトに行く。いつものように、あっという間に時間が過ぎる。ちょうど理科で天体のところをやっているので、国立天文台の観望会に行く約束をする。学校でもらってきたというプリントを見せてもらうと、今年は彗星の当たり年だということが書いてあった。

72年10月9日 あなたの電話が少ないことに 慣れてく
私は一人 ぼんやり待った 遠く横切る 流星群

という歌があるが、プリントを見たら、今年の10月9日に、ジャコビニ彗星は見られると書いてあった。
Y君が数学の問題を解いている間、歴史の教科書を読んでいると、「武左衛門一揆」というコラムを見つけ、読んでみる。

18世紀の終わり、伊予宇和島藩では、百姓は藩の圧政に苦しんでいた。ある神主を中心とした一揆が企てられるたものの、その一揆は失敗に終わり、神主たちは処刑される。武左衛門は、次こそは、と心に誓う。武左衛門は浄瑠璃語りとなりすまし、藩の村々を回り、口の固い、24人の同士を得ることに成功する。武左衛門とその24人の同士たちは綿密に一揆を計画し、ついに前回の一揆失敗から2年後、大規模な一揆を起こし、藩に農民の要求を認めさせることに成功する。藩の役人たちは一揆の首謀者の名前を割り出そうとするが、
農民たちの口は固く、一向に見当がつかない。そこである役人が一計を案じた。農民たちと酒を飲む機会を設け、あの一揆の首謀者たちは実に見事であった、武士に取りたてたいものである、と農民たちに問うてみたのだ。それならばと安堵した農民たちは、武左衛門たちの名前を明かしてしまう。武左衛門たちは捕らえられ、ついには処刑されてしまった。……そういう話しだった。

1998年3月後半(抄)

1998年3月24日(火) 大阪、くいだおれ

「西日本オール学生選手権」に参加するため、会場の大阪に向かう。前日に品川を出、大垣夜行に乗って大阪に向かう。名古屋のキオスクでてんむすを買って食べ、鈍行を乗り継ぎ、朝早く、大阪に着く。昔神戸に住んでいて大阪にはよく遊びに来ていたというTに街を案内してもらう。ガイドブックの表紙に出ている、この妙な人形は何なのだとTに聞くと、それは「くいだおれおじさん」というのだそうだ。「くーいーだおーれー」と、はじめて聴く、くいだおれおじさんのテーマソングをTは無邪気に歌ってみせた。その歌は関西の人はみんな知っているのかと聞くと、当然みんな知っている、とTは言った。「博多ぶらぶらって知っている?てけてけてけてけてけてってー、あ、ぶーらぶーらってやつ」とTに聞くと、Tは知らなかった。朝名古屋でてんむすを食べた勢いを駆って、大阪食い倒れツアーを敢行しようということになった。

まずは、ということでガイドブックにも載っている、阪神百貨店の地下の名物だという、いか焼きを2枚食べる。まずまずと思ったが、固かった、昔はもっとふんわりしていておいしかった、とTは不満そうであった。外に出て、南の方に向かって歩き、Tが「ねこ広場」と呼んでいる(実際には何と言うのか知らない)ビルの合間の高いところにある広場で、「神戸屋」のコロッケの6枚入ったセットを広げる。ずっと歩いていくと川がある。橋のたもとに堂島の米市場が、昔このあたりにあったという表示があった。天下の台所、大坂。大阪市役所の前からバスに乗り心斎橋まで行く。Tお勧めの「蓬莱551」というジーンズのような名前の店で、豚まんとしゅうまいとあずきバーを食べる。どれもおいしかった。駅前で献血をすると、石鹸のセットとサウナ無料券を2枚くれた。大阪の献血業界はなかなか気前がいい。

地下鉄に乗り、新世界を見に行く。パラレルワールド。誰が考えたか知らないが、「新世界」というネーミングは絶妙だな、と思う。地図を見ると、近くに大阪星光学院という進学校があった。知り合いの何人かがそこの出身者で、そのうちの一人のK君がかつて「うちの学校の生徒は新世界にエロ本を買いに行ってカツあげされるんです」と言っていたのを思い出した。通天閣まで歩く。地下1階にある将棋道場は、「ふたりっ子」の世界そのままで、やはり人はほとんどいなかった。もうしばらくすると「銀じい」が来るかもしれないのですが、と席主の人は言った。階段のところには「指導料500円六段大田学」という貼り紙があった。600円払って通天閣に上る。展望室にはサントリーコーラという珍しいものが売ってあったので飲んでみた。遠くに市街や生駒山が見えた。ビリケンを見て、これで将棋はツキまくって勝てるだろうと思っていたが、あまり効果がなかったようだ。

地下鉄と阪急を乗り継ぎ、十三の「やまもと」という店にねぎ焼きを食べに行く。おいしかった。梅田まで引き返し、大丸の29階の展望室から夜の大阪の街を見る。御堂筋は太い光の筋のようだった。地下鉄で戎橋まで行き、橋を渡り、道頓堀を歩く。金龍というラーメン屋でラーメンを食べる。Tによると、ハリソン・フォードも来たことがあり、一時「ハリソン君御用達」という貼り紙がしてあったそうだ。地下鉄の終電がなくなり、本町駅からホテルのある谷町四丁目駅まで夜の散歩をする。日曜日まで大相撲大阪場所があったが、谷町というのは「タニマチ」という言葉の由来の、あの谷町なのだろう。夜の街で相撲取りの姿をあちこちで目にした。地下鉄がもう動いていないということなので、夜の大阪の町を、将棋部の人間が泊まっているホテルまで歩いていった。

3月28日(土)

大阪より、鈍行を乗り継いで、未明に東京に帰ってくる。昼中、ずっと寝ていた。家から電話があり、健康だけが取り柄だった妹がリンパ腺につまった胆石の手術をするとのこと。Tが寮に遊びに来るということで、22時過ぎ、駅まで迎えに行く。

3月29日(日)

天気のいい、日曜日。同居人だったKが就職し、部屋を出ていったので、Kが以前使っていたスペースに机を運んでみた。Tが掃除をしている側で、眠くなり、寝る。起きると、18時半であった。Tはもう帰っていて、

僕、午睡の夢から覚めてみると
みなさん、家を空けてをられた
あの時を、妙に、思ひ出します

という中也の詩を思ひ出した。部屋はすっかりきれいになっていた。

3月30日(月) 駒場野公園、先端研、フレッシュネスバーガー

北寮の1Fの部屋に行くと、TとRさんが花見をしていた。「勉強するつもりで来た?お兄さんはそんな野暮なことは言わないでしょう?」ということで、窓のすぐ外に咲く桜を眺めながら、結局昼からビールを飲む。陽気に誘われ、3人で駒場キャンパス一周の散歩に出かける。「みしま」でたこ焼を買い、駒場野公園のベンチに腰掛ける。子供たちがザリガニを釣っていた。留学生宿舎の脇を通り、駒場の高級住宅街の道を通って、先端研に行く。中に入ろうとしたがいつものように守衛にブロックされた。フレッシュネスバーガーで休憩した後、野球門から野球場の桜の下をくぐっていった。

3月31日(火) 月島、荒川、北区

Tの運転する車でドライブに行く。目黒のラーメン「二郎」の前を通るも、昼と夜の営業の間で、閉まっていた。品川か三田のどちらかの「二郎」に行くという選択をし、慶応前の三田の本店に行くも、ちょうど店のお父さんがシャッターを下ろしているところだった。もんじゃ焼きを食べよう、ということで月島に行く。どうして月島はもんじゃ焼きの店であふれているのだろう、という話になる。「両国なんて、駅降りたら相撲部屋ばっかりだからね。イッツア相撲ワールド、ラーララー」というおもしろいジョークを、Tは全く無視した。「麦」という、Cが前から行きたかったという店に行く。有名店ということで、有名人の色紙が多く貼ってあったが、その中でも徳永英明は、何度も来ては、ポスターを置いていっているようだった。桜えびのもんじゃとねぎ天のお好み焼きを食べる。これはおいしかった。デザートに「あんこ巻き」なるものをTが焼いてくれたが、これもまたおいしかった。

「海ほたる」に行くのはあきらめ、明治通りを北進し、「二郎」王子店に行こう、ということになる。「お父さん、北区に帰宅ざんすね」という面白いジョークを言うと、Tは笑った。「二郎」王子店で長い列に並ぶ。ラーメンを食べた後に、二階の「もんじゃ二郎」も制覇しようということになるが、当たり前の話だが、ここの「二郎」はそんなに甘くなかった。脳に油が回ったような気分になった後、帰り道の、環七に向かった。

調布飛行場、鎌倉高校前駅、湾岸道路

1998年3月17日(火)

Tの運転する車で、ドライブに行く。昼過ぎに三鷹を発ち、Tが前から一度見てみたかったという、ICUに行く。Tは守衛に「来年受験するので見学したいんですけど」と言って入構許可証をもらっていた。武蔵野の原生林の中に、建物がところどころあるというようなキャンパス。昔ICUの人と、ここの女子寮でやっていたクリスマスのダンスパーティーを見にいったことがある。

次は調布飛行場に行きたい、Tは言った。国立天文台の前を通って、曲がるべき道を通り過ぎ、一度調布市街まで出て、そこから引き返す。小さな道に、「大島、新島航路」という看板が小さく出ていた。ターミナルはフロリダ空港の近くにあったキーウェスト行きのバスターミナルを思い出すくらいに、小さかった。佐渡空港でも見たアイランダー機が、何機か窓の外に見えた。

ここから南下して、湘南方面に向かう。多摩川を渡り、川崎、町田、横浜をふらふらと抜け、ちょうど夕陽が沈む頃、海が見えた。江ノ電の、狭い道路を二分する線路を見て、昔住んでいた京都のことを思い出した、とTは言った。近くに車を止め、砂浜に降りると、赤く染まった江ノ島が見えた。昔、鎌倉から江ノ島まで正月の一日をかけて、歩いたことがあった。その時一緒にいたSが、「『赤いスイートピー』って、江ノ電のイメージね」と言っていたことを、思い出す。Tに江ノ電のイメージソングは?と聞くと、「ラブ・ミー・テンダー」。学生結婚していた知人とシーズン前の湘南の海で遊んだ時、その知人が間違えて自分のことをその人の小さな娘の名前で呼んだことがあって、その時に頭の中でかかっていたの「ラブ・ミー・テンダー」だったそうだ。「それかUAの『ミルクティー』ね。理由?別に意味ないけど」。鎌倉高校前駅には「全国の駅100選に選ばれたました」という内容の看板が、誰もいない改札のところに出ていた。江ノ電に乗り、鎌倉まで行き、そこからまた同じところまで、帰ってくる。2時間しか寝ていないというTは、眠そうな顔をしながらも、ずっと窓の外の景色を眺めていた。

車に乗って、横浜まで行く。中華街でその店の飲茶の一番安いセットを頼む。本牧のインターチェンジから、湾岸道路に乗り、ベイブリッジ経由で、帰ろうということになる。橋の上では車が風にあおられて、揺れた。横浜の夜景が左手に見え、やあすごいすごい、とTに言うと、緊張してるから話しかけないで、Tは言った。電光掲示板には、風速14メートルの表示が出ていた。

2007年7月14日

林海象、駒場寮、横浜

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1998年1月29日(木)

嫌な予感とともに起きると、時計は17時を過ぎていた。この日は「海象・世界--World of Kaizo Hayashi」において上映されている「乙女の祈り」の最終日。息をはずませてAに電話をする。「あっ、A?今どこで何してる?」「えーと、今仕事中なんですけど」「乙女の祈り、今日で終わりなんだけど、どうすんのよ」「うそ?行くに決まってるんですけど。ちょっと待ってて。……。はい、仕事終了」「何それ?それで今どこ?」「えーとね、六本木」「何それ」

19時上映開始。横浜のランドマークプラザまで間に合うかどうかなど考える暇もなく、スカパラの「マイクのテーマ」が頭に流れる中、外へ飛び出す。夕闇の井の頭公園に自転車を止め、鍵を落とし、時間をロスし、井の頭線に飛び乗り、待ち合わせの渋谷の東横線の改札に着いたのは18時15分であった。18時17分発の急行桜木町行きに飛び乗る。桜木町に着いたのは、18時57分。ランドマークタワーまで走りに走り、何とか間に合った。

「乙女の祈り」は、林海象や永瀬正敏、その他スタッフ全員ノーギャラ、フィルム代数十万円で作った、25分の短いフィルムである。撮影は全て駒場寮で行われ、次に上映される予定もなく、これだけはこの機会に是非見ておきたかったのだ。以下はパンフレットより。

「時が止まった部屋に眠る男。古い目覚時計が奏でるオルゴール。夢からさめた男はガラス瓶の「egg」を発見する。その卵からは、男が出会う運命にある女「flower」の鼓動が・・・。巻き貝、卵、オルゴール、宝石・・・。「時」の小道具が紡ぎ出す、シュールな美の物語。」

居住部屋、炊事場、屋上、中庭、一二郎池などなど、どこも見知った駒場寮の風景である。最後のシーンは一二郎池に永瀬正敏と夏衣ゆうながぶくぶくと沈んでいくのだが、こんなジャングルのような豊かな自然が渋谷の中心から歩いて15分のところにあるとは、知らなければ想像もできないと思う。クレジットには「Special thanks to Tokyo University Komaba-Ryo」とあった。

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唐十郎主演「海ほおずき」まで見終わった後、バスに乗り、中華街に飯を食べに行く。旧正月(この日の前日がそうだった)のイベントが次の日曜にあるというポスターが、いたるところに張ってあった。終電近い時間、人通りの絶えた関帝廟のあたりを歩いていると、「横浜といふ所には、常なるさんざめける湍水の哀感の音と、お母さんの少女時代の幻覚と、謂はば歴史の純良性があるのだ」という、中原中也の日記の一節を思い出した。

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水上温泉、新潟、佐渡

1997年12月13日(土)

昼頃起きる。寒いのでとりあえず温泉に行こうという現実逃避した話をTとする。「どーこがいいっすかねー」と言うと、Tは「えーとね、雪が降ってるところ」と答えた。やがて現実逃避的な結論に落ち着いた。18キップと時刻表を買い、上野から新潟に向かう。夕方に出発したため、「国境の長いトンネル」を前にして電車がなくなった。土曜日ということで水上温泉の宿は、どこもスキー客でいっぱいのようだった。駅からずいぶん離れた宿まで、川沿いの、ライトアップされた夜の雪の道を、Tと二人で歩いていった。

12月14日(日)

朝起きると外は晴れていて、雪を溶かすため道路にまかれていた水が小さな虹を作っていた。一日に6本しかない新清水トンネルを越える各駅停車の電車に乗る。トンネルの中にある地中駅、土合で降りる。階段486段、地上に出るまで歩いて10分かかる地底のホームは「銀河鉄道999」のようで、一人だったら雰囲気のあまりの不気味さに泣き出していたことだろう。利根川の源流をさかのぼるハイキングを敢行し、最後はロープウェイで谷川岳の中腹のスキー場まで行った。下りてくる途中、ここまで来た以上は冬の日本海を見に行こうという話になり、夕闇の土合駅で、落書き帳に落書きをしながら、下りの電車を2時間近く待つ。誰もいない地底のホームに向かって、階段を下る。昔、まだこの駅が有人だった時には、10分前に改札が終わっていたそうだ。国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だつた。予算的に湯沢温泉に泊まることができないので、新潟市内まで3時間かけて行った。新潟は、思った以上に大きな街だった。

12月15日(月)

起きると、すさまじい雷鳴が聞こえた。地元ではこれを「雪下ろし」と言って、これがあると大雪が降るとのことだった。降ってきたのは、雨だった。「ラフォーレ原宿新潟店」のビルの19Fの展望ルームから、荒波の、冬の日本海を眺める。海岸まで行ってそれで東京に帰ろう、とTに言うと、Tは佐渡島に渡ろうと言った。「えーとね、佐渡ね。まあ、またいつか夏に新潟に来た時にでもどうっすかね。夏の佐渡で泳いだりすると気持ちいいんじゃないっすかね、きっと」と言うと、「ふーん。小さくまとめたじゃん」とTは言った。時刻表を見て、あと30分ぐらいで15時20分発の佐渡行きのフェリーが出発することを知る。タクシーに乗って、佐渡行きのフェリーターミナルに行って下さい、と運転手に言う。初老の、端正な顔をしたその運転手は、慇懃に、あきれてみせた。二千円ちょっとの2等のきっぷを買い、「おけさ丸」という、フェリーに乗る。二等船室の乗客の人たちは、じゅうたんがひいてある、暖かい大部屋で、100円でレンタルしていた毛布をかけて、すぐに寝ていた。夏にはにぎわうのであろう、誰もいない、船の前方の椅子席にTと二人で座る。しばらく目の前に広がる薄暗い海を見ていると、発泡酒を片手にした、酔っ払いのお父さんが上がってきて、いいものを見せてやるよ、と言う。お父さんは売店でかっぱえびせんを買ってきた。うながされて外に出ると、港中から集まったかと思うぐらいの、数え切れないほどのかもめが、かっぱえびせんを食べに目の前までやってきた。かっぱえびせんを手にして、手を伸ばすと、かもめがそれをついばむ。これをやってみせると東京の人間は、いいものを見せてもらいました、感動しましたって、絶対言うんだ、とそのお父さんは笑った。お父さんは新潟の人で、これから佐渡の店屋に、売り物の弁当を配達に行くとのことであった。毛布にくるまり、大部屋で寝る。誰もいない両津の港に着いたのは、18時前だった。港の前の小さな商店街がちょうど店じまいをする頃で、行くあてなど、もちろんなかった。

12月16日(火)

朝起き、佐渡空港を見に行く。何人かの、ストーブにあたって世間話をしている職員以外には自分たち以外に誰もいない、この世の果ての飛行場。新潟空港からの便は行き帰りがそれぞれ3本ずつ。その1本当たりの最大積載可能乗客数は9人だった。Tははしごを上って昔の管制塔の上に立ち、風で顔をくしゃくしゃにして目の前に広がる滑走路を眺めていた。バスに乗り、1時間ちょっとかけて金山のふもとの町、相川に行く。ガイドブックにはそこからバスに乗れば金山に行けると書いてあったが、冬季は金山行きのバスは運休とは、一言も書いていなかった。冬枯れの山の中を歩く。途中、道から少し脇に入ったところに寺があり寄ってみる。行きはしなかったがそのさらに奥に進んでいったところに、江戸からつれてこられ、金山で働かされて死んだ無宿人たちの供養塔があるそうだ。「神田おめでた小僧」とか、そういう名前が読めるそうだ。ふもとより歩き始めて1時間程度で金山跡に着く。前には死んでいった坑夫たちの供養塔が立ち並んでいた。合掌。ここまで来た以上、入らないわけにもいかないので金山跡へ。ありの巣のように中を下っていくのだが、精巧な電動の人形以外には、誰もいない。すさまじいまでの雰囲気の不気味さ、不吉さで、出口の明かりがようやく見えた時にはこんなにほっとしたことはないと思うぐらいに、ほっとした。両津港までバスで戻り、18時20分発のフェリーに乗る。海の向こうの新潟の街が世界の暖かみの中心のように、思えた。18キップをもう一枚買い、残ったのは二人合わせて700円ちょっとだった。23時17分発の「ムーンライトえちご」を待つ間、缶ビールまで買う余裕はなかったが、コンビニでおにぎりなどを買ってきて、佐渡島のフェリーターミナルで買った宝くじがもし当たったらという話をし、げらげら笑いながら、新潟駅の待合室で打ち上げをした。

高杉晋作、『東帆録』、蓋井島

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1997年12月11日(木)

磯田道史さんより、高杉晋作が蓋井島に立ち寄ったことがあるのではないか、ということを教えてもらう。伊能忠敬や吉田松陰が島に来たことは知っていたが、晋作が来たというのは、知らなかった。「よしみ史誌」という、地元の歴史を詳説した本が今手元にあるが、この本には晋作蓋井島寄港の