2007年6月30日
18世名人誕生

6月29日(金)
名人戦第7局2日目。最終盤でどちらが勝っているのかわからない状況には、仕事を忘れて震えがきた。この第7局は終始テンション高めで自分の担当をこなせたと思う。大逆転となった第6局の再現もあるかと思われたが、最後は森内名人の勝ち。名人位通算5期で18世名人の資格を獲得した。歴史的意義のある場に立会い、自分の中でも一区切りついた気分になった。
今晩は渥美湾の上に月が出ていて、銀波荘からもよく見える。外まで撮りに行く一手かとも思うのだが、すでにビールが入って、砂浜を歩くのが心もとない。

2007年6月29日
twilight blue
6月28日(木)
名人戦第7局1日目。詳しくは名人戦棋譜速報にてどうぞ。明日はいよいよ第65期名人戦最終日。
先ほど1時頃娯楽室に行ったら、当然ながら誰もいなかった。自分は比較的アルコールは強い方だと思うのだが、一人でビールを飲むとすぐに酔うのはどうしてですかね。
2007年6月28日
2007年6月26日
act local
6月26日(火)
午前、恵比寿の東京都写真美術館に。水越武写真展、世界報道写真展2007と回る。プロは情熱の赴くまま、この世の果てまで行くのだな、と思う。アマの私は歩けば届く、そのあたりの風景を撮り続ける。写真は彦根の龍潭寺です。
午後、家に帰って熟睡。
夜、仕事の催促の電話で目が覚めた。
2007年6月25日
2007年6月24日
2007年6月23日
彦根清涼寺
史跡を回っていれば、自然と因縁めいた場所にも多く立ち寄る。関ヶ原に限らず古戦場周辺は、怪奇譚が山のように残されているものだ。たとえば今日訪れた清涼寺には、佐和山城の悲劇にまつわる伝説が残っている。詳しくはこちら「おそろしい血の池」などをご覧ください。私は比較的気にせずに写真を撮りまわる方だと思うのだが、小早川秀秋に対する印象はまたしても悪くなった。
境内には珍しい実をつけていた大木があり、写真を数十枚撮った。後で聞けば、これが話に出てくるタブの木だった。
大垣グルメ探訪
風呂に入ってさっぱりしました。今日もよく歩いた。じゃあビールでもといきたいところだが、連日歩く以上に飲み食いしているので自粛。
大垣は水まんじゅうが有名で、大垣城跡に上った後、商店街の店先で頼んでみた。
チーズケーキは偶然通りかかった、水門川沿いのスーゴカフェにて。
2007年6月22日
2007年6月21日
関ヶ原着
JR岐阜駅で東海道線に乗り換え、関ヶ原駅で降りたのが8時半頃。往時井伊直政が抜け駆けをして戦いが始まったのは、8時頃だったとか。
ここで重大なトラップがひとつ。関ヶ原駅周辺にはコインロッカーがない。重き荷を背おうてゆくがごとき人は気をつけましょう。いまネットで検索し、同じショックを受けた人が多数に及ぶことを知る。9時に観光案内所が開いたので係の人に確認してみると、以前コインロッカーを置いていた店がなくなってしまったとのこと。気の毒に思ってくれたのか、預かってくれるというので好意に甘える。
歩き始めてしばらくして、東首塚に着いたあたりで、なぜか急に腹が痛くなる。石田三成は合戦当日腹を壊していたそうだが、その体験もできるのかとポジティブシンキングで写真を撮っていると、ほどなくして治った。
2007年6月15日
消灯時間
6月14日(木)
名人戦第6局1日目。例によって詳しい模様は、名人戦棋譜速報をご覧ください。
夕方、1日目の日程が終了した後、夕食まで少し時間があったので風呂に入る。そこで熟睡してしまい、気がついたら1時間ほど過ぎていた。
夜、控え室にてくるりのワンダーフォーゲルなどを聴きながら、行方さんたちと四方山話。
深夜、部屋に戻ってからスイッチが入り、ハイになって課題をこなしているうちにこの時間となった。夜が明ければ、18世名人が誕生するか、それとも最終第7局にもつれこむかという一日。少しでも寝ておくべきでしょうから、もう寝ます。おやすみなさい。
2007年6月13日
上野の休日
6月10日(日)
雨が降り止んだ後、ダ・ヴィンチ展がそろそろ終わりなのを思い出す。鶯谷駅から寛永寺の前を通り、上野の東京国立博物館へ。着いたのは17時頃。閉館までの1時間半で知の巨人の足跡を丹念にたどれるべくもないが、もとよりそれだけの素養がないのと、入場者が多すぎて展示に近寄れないのとで、駆け足での移動。「受胎告知」前の人だかりを抜け出して来たときには、まだ18時にもなっていなかった。
2007年6月11日
2007年6月10日
2007年6月 9日
2007年6月 8日
順位戦開幕
6月1日(金)
伊豆から東京に帰った後、B級1組開幕戦を見学。2003年に始まった順位戦中継も、皆さまのおかげで5年目に入った。共催に関連してこの日からは新ドメインhttp://www.meijinsen.jp/に移行している。正直なところ、ここまで発展するとは思わなかった。関係者に冷笑されながら、来る日も来る日も朝から朝まで、ひとりで中継していた頃が夢のようである。23時頃失礼し、渡辺竜王-高橋九段戦の最終盤は自宅にてネット観戦。高橋九段が相矢倉の名局を制した。
2007年6月 7日
関ヶ原の選択
関ヶ原はいまだ行ったことのない観光名所のひとつである。長州山口出身ゆえ、幼少時は関ヶ原の戦いといえば、自然と毛利家の観点に立っていた。必然的に、あまり愉快な気分にはならない。参加武将のダメランキングを作れば、小早川秀秋は横綱、吉川広家は大関クラスであろう。片や戦いのさなかで積極的に寝返り、片や消極的に内通して毛利本隊を動かさず、家康の勝利を決定づけた。
秀吉筋から小早川家に入った秀秋は、2年後に急死して家を取り潰される。それはともかくとして、広家は家康に手の平を返され、毛利本家大減封という悲惨な運命を招いた。秀秋や広家のような判断がすべて失敗に通じるとは言い切れないが、子供心に受けるはずもなかった。
歳を取って、ある程度は人間の弱さに寛容になったのだろう。権謀術数に長けた家康にしてやられ、敵にも味方にも侮蔑され、ただ千載に汚名を残したと思えば、哀れなだけだ。今度時間があれば関ヶ原を訪れ、松尾山では小早川秀秋、南宮山では吉川広家の気持ちをしのんでみたい。
MOA4Cafe de SHOGI
6月3日(日)
午後から新宿駅東口のMOA4カフェにて、LPSAのイベント。天気もよく、おかげさまで大盛況。新法人は女流棋士、スタッフともにやる気あふれる実務派が揃った感じで頼もしい(私は仕事が遅くてすみません)。終了後、打ち上げのビールを我慢して、急いで写真レポートをアップした。
2007年6月 6日
ファミスタの思い出
ファミリースタジアム、略してファミスタ。1986年に発売された野球ゲームの古典である。ファミコン名作ソフトの共通点はシンプルかつ奥が深いところで、数ある野球ソフトの中、初期ファミスタだけは何度プレイしても飽きなかった。実力がほぼ正確に反映される潔さと、負けたときの全人格を否定されたような虚しさは、一種将棋に通じるものを感じた。私の好きなチームはパ・リーグ鉄道系の名選手を集めたレイルウェイズで、それはずっと変わらない。大学に入って数々の手練と対戦した結果確信を得たのだが、経験上いちばん手強いのは、タイタンズの使い手である。3番ばあす、4番かけふ、5番おかだの爆発力が通には受けるのだろう。最終盤、バックスクリーン3連発をくらっての大逆転負けは、それこそ何度経験したかわからない。
中学時の日曜日だったか。島に帰っていた私はE君とファミスタで対戦していた。E君は私より少し年上で、すでに一人前の漁師だった。ファミスタは経験の差があったのか、私の圧勝だった。記憶は次第に薄れてゆくが、そのときのE君の悔しそうな顔だけは、20年近く経った今でもよく覚えている。島に中学校はない。休みが終われば中学生は、対岸の町の小さな寮に戻る。それから少しして、私たちは寮で、E君が亡くなったことを知らされた。潜っていたとき、心臓麻痺を起こしたという。たぶん苦しくなかっただろうから。そう言って泣き崩れる人を見ながら、ついさっきまでE君とファミスタをしていたのが嘘のように思われた。
先日久しぶりに、1年後輩のD君と連絡を取った。大学の寮ではファミスタ百番勝負をした仲で、彼もまたタイタンズの使い手だった。現在は研究者となり、九州に住んでいるという。今度会ったら久々に対戦したいものだ。できれば大学の寮で、と言いたいところだが、すでに取り壊されて今はない。九州までファミコンを抱えて持っていけば、まだ会ったことのない奥さんには、白い目で見られるだろうか。
2007年6月 5日
2007年6月 2日
