2006年3月28日

行動規範

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 話は少し前に戻って、3回目を迎えた詰将棋解答選手権で2位となった篠田さんは素晴らしい。1回目でやはり2位となった東野は「実質優勝」と自画自賛していたが、まったくその通りだと思う。

 26日(日)は昼寝がよくなかったか、起きると頭が痛い。どうやら風邪をひいたようだ。夜、代々木にて将棋関係者の集い。私よりはるかに年上の方の尋常ではないテンションに、風邪のせいでもなく置いていかれた。

 27日(月)は午後、急な電話があり将棋会館に行く。話が終わった後、書道部へ。若者たちの無邪気な様子を見て癒される。

 28日(火)も午後から将棋会館。自分を動かすものは、まず好奇心なのです。何がどうなるのか、ほとんど見えないのだけれど。

2006年3月27日

鳩森神社夕景

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2006年3月26日

よくある日曜日

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 午前、森内名人-谷川九段の棋譜を1局目から並べ返しながら、対戦成績表を作り始める。1988年度朝日決勝第3局の谷川△6七銀など、昔感じた鮮烈さは、何年経っても色褪せていない。20局目の1998年度A級プレーオフ、谷川大逆転で名人挑戦まで進んだところで、本日の業務は終了。

 午後、某氏作のチンジャオロースとビールで、よくわからないが乾杯。眠くなって昼寝。起きたらもう、夕方だった。

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2006年3月25日

春休み

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 21日(火)、22日(水)に指された王将戦最終第7局の詳しい模様は、MSN毎日インタラクティブにて。敗れた佐藤棋聖は悔しさを隠そうとせず、打ち上げが終わった後、関係者を相手に深夜2時頃まで控え室で検討をしていた。序盤の29手目は▲9六歩ではなく▲1六歩が最善だったと深遠な結論が下された頃、棋力つたなき私の意識もまた遠くなった。

 23日(木)は移動日。羽生王将は朝5時30分のフェリーで一足早く、佐渡の地を後にした。目撃情報によると、昼頃にはさわやかに東京の将棋会館に現れ、免状の署名をされていたそうだ。一行がジェットフォイルに乗ったのは11時30分。
 新潟市内では万代橋の写真を撮りにいこうかと思っていたのだが、時間がないのと、天気が今ひとつなのとで断念。佐渡を訪れることはもうそうそうはないだろうが、新潟ならばまた何度も来よう。
 東京に帰って将棋会館に寄り一息ついた後、北尾さん、上川さんとジェイ・クックへ。あとから、棋士になって初めてクラスの大ポカで好局を失ったという片上四段も合流した。出てくるのは将棋界に関するシビアな話ばかりで、途端に現実世界に戻ってきたような気がした。

 24日(金)からは春休み。何もない日はとにかく早く、一度は外に出かけるのがフリー生活を充実させるための心得である。しかも東京はすでに桜が咲いているではないか……と夢の中で思ったものの、結局終日家で寝ていた。
 
 今日25日(土)も前半は寝たきりであったが、夕方頃になってようやく外に出る。いちばん上の写真は将棋堂の前に咲いていた桜です。将棋会館に行くと、着物姿の野田澤さん。大学の卒業式だったらしい。何の脈絡もないが日が暮れる前にとせかして、鳩森神社で写真を撮らせてもらった。

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沖の小島の流人墓地

 ところで春日崎には、大岡源三郎という流人の塚があった。江戸初期、由比正雪が幕府転覆を企てた「慶安事変」で連座された人物だそうだ。槍遣いとして知られる丸橋忠弥に道場として長屋を貸していたというのが罪状。正雪や忠弥の知名度に比すれば、ほとんど名もなき人物であろう。佐渡では槍を教えるなどして3年ほど暮らし、最期は春日崎にて自害したと伝えられている。その理由は「渡世致し難く」としか残されておらず、何だかよくわからない。
 2世名人宗古-正雪戦とされる偽棋譜が残されていること、また忠弥の墓は大橋本家と同じ伊勢原の上行寺にあることなど、将棋と関連づけられなくもない史跡だが、記事には書かなかった。
 佐渡の遠さとは比べるべくもないが、私が生まれ育った島もかつては流刑の地であった。昔覚えた「沖の小島の流人墓地」という、「春の岬」に比べればはるかにマイナーな詩を思い出そうとするのだが、どうも細部があやふやである。検索してみたところ、あまりにマイナーすぎるためかヒットしなかった。原典がわかる方は、添削してやってください。

大塚源三郎塚

  沖の小島の流人墓地
  をぐらき墓のむきむきに
  ともしき花のくれなゐは
  たれが手向けし山つつじ

2006年3月24日

春の岬

 20日(月)は王将戦第7局の移動日。10時32分東京駅発の上越新幹線に乗る。佐藤棋聖の姿はなかったが、後で前日、現地入りしたことが知らされる。

 ところで先日竜王邸にてNHK教育の「おかあさんといっしょ」だか「ピタゴラスイッチ」だかを見ていたときに、「国境の長いトンネル」は「こっきょう」ではなく「くにざかい」と読まれているのに少し驚く。竜王がぱわわぷ体操を踊れるのはもっと驚きましたけどね。今ネットで調べてみたところ、昔から「こっきょう」「くにざかい」両説あるようだ。長いトンネルの途中の地底駅やその先の新潟、さらにその先の佐渡は何年か前の冬に訪れたことがある。真冬の佐渡は寂として趣があったが、次はにぎやかな状況で行くことがあれば思っていた。どうやらその願いは実現したようだ。

 新潟港から乗ったのはフェリーではなく、高速船のジェットフォイル。残念ながら外に出ることができないため、甲板でえびせんをついばみに来るかもめの写真を撮ることはできなかった。越佐海峡は欠航してもおかしくはないほどの時化で、船酔いする人が続出。羽生王将が実践していた通り、熟睡する以上に有効な対策はない。私は離島生まれのアドバンテージを生かしてなんとか無事だった。下の写真はホテルの目の前、春日崎で撮った夕暮時の空です。

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 三好達治の「春の岬」は、伊豆~下田~沼津あたりで作られたそうだ。また福井県の三国に達治が滞在したことがあるため、東尋坊にも句碑がある。棋王戦第3局は伊豆の国市、第4局は金沢でいずれも微妙に近いところ。特に第4局は取材で現地に赴くことができたので足を伸ばして撮影に行きたいと思っていたのだが、以前書いたとおり天気が悪かったのと、締切が早かったのとで断念した。思いもよらず佐渡の地で、イメージ通りの春の岬の風景が広がっていたので驚いた。素材は揃っていたのに、それらを1枚の写真にうまく収めることができなかったのは少し残念。下の写真、縮小したら油絵っぽくなった。

春の岬

  春の岬 旅のをはりのかもめどり
  浮きつつ遠くなりにけるかも

2006年3月23日

佐渡4日目早朝

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2006年3月22日

佐渡3日目早朝

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2006年3月21日

佐渡2日目夕暮

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2006年3月20日

佐渡1日目夕暮

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旅のをはりのかもめどり

 16日(木)はA級プレーオフ▲羽生三冠(8-1)-△谷川九段(8-1)戦。
 17日(金)はB級1組最終13回戦。
 燃え尽きました。いずれも詳細は「名人戦棋譜速報」をご覧ください。

 明けて18日(土)は朝まで打ち上げ。二次会が終わったあとで木村さんと別れ、行方さん、村山さん、桜木記者、烏記者と私の5人で三次会の原宿のカラオケ屋に向かうも、残念ながら閉まっていた。朝7時半頃、原宿駅前で解散。そのまま家に帰って、終日寝ていた。

 19日(日)はフランスから帰ってきた知人と某夫妻の4人でジェイ・クックで食事の予定……だったのだが、諸事情により中止。結局1人でランチとなる。ならば原稿を書こうと将棋会館に行くも、奨励会の皆さんとWBCを観戦して終わる。

 今日20日(月)は王将戦第7局の移動日。今期の私の仕事納めとなる。それにしても王将戦で再び中継ができるとは思わなかった。牧野さんをはじめ、関係者の皆さんに感謝。行程表を見たら、東京駅10時半頃出発である。いまはあわてて、準備をしているところです。佐渡行きのフェリーで昔見た、かもめの群れを写真に撮ることはできるだろうか。

2006年3月19日

飯島五段の思い出

 この仕事を長く続けていると、棋士の悲喜こもごもに否応なしに立ち会うことになる。ある期の順位戦開幕戦、昇級候補と目された若手棋士がまさかの落手で必勝の将棋を落とした。涙を流しているその棋士を私は見続けることができず、写真を残せなかった。今ならばすぐに「仕事だから」と割り切って、ドライにシャッターを切るのだろうけれど。

 棋士でも負ければこんなにうなだれるのかと初めて思ったのは、2003年度C級2組8回戦の達六段-飯島四段戦。大逆転で飯島四段が負けたときだった。昇級争いをしていた飯島さんは痛恨の2敗目。ただしライバルも次々と敗れていたので、望みがなくなったわけではなかった。ロビーの椅子に座っている飯島さんの前で星取表を取り出して、「みんな負けてますよ」と言うと、「いや、意味ないです……」。一瞬顔を上げたあと、またうつむいた。

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 ちょうど2年前のC級2組最終戦は、王将戦第6局の対局場である会津若松の東山温泉から中継をサポートをしていた。羽生王将に挑戦した森内竜王が4勝2敗でシリーズを制したあとの夜である。東京の担当者は紬記者(現在幸福な新婚生活で休業中)。大阪からは岡本初段(長い間おつかれさまでした)にファックスで逐一棋譜を送ってもらっていた。黙々と棋譜を打ち込んでいた夜遅く、関係者が去って閑散としていた控え室に森内新王将が現れた。A級順位戦を史上初の9戦全勝で駆け抜けた新王将は、すぐに棋譜のチェックをはじめる。タイトル戦の夜に何度も見た光景で、なるほど、トップで勝ち続けるのはこの努力があるからであろうといつも思う。最終戦、上から5人の状況は以下の通りだった。

 宮田敦史四段(8-1)-西尾 明四段(4-5)
 千葉幸生四段(8-1)-伊藤博文六段(1-8)
 横山泰明四段(8-1)-平藤真吾六段(6-3)
 山崎隆之五段(7-2)-藤倉勇樹四段(3-6)
 飯島栄治四段(7-2)-佐々木慎四段(3-6)

 山崎-藤倉戦は中盤で差がついて、山崎勝ち。キャンセル待ち1番手の権利を得た。ちょうど今期の橋本五段と同じ立場である。山崎現六段や橋本五段でもすっきり昇級できないのがこのクラスだ。自力の宮田、横山は力のこもった熱戦を展開中。相手はいずれもストッパーの資格十分の難敵である。

 千葉-伊藤博戦、伊藤六段はすでに降級点が決まっていた。ここはすんなり千葉勝ちかと思っていたら、あにはからんや。千葉大優勢の局面から、次第にもつれはじめている。そのうち観戦記担当の加藤昌彦さんが更新された盤面を見て「あっ! 伊藤さんやったか!」と叫んだ。よく見たら伊藤六段側に必殺の決め手があり、必勝である。千葉さんにとっては、祈るような場面だっただろう。しかし伊藤六段はその決め手を見送る。結果は辛くも再逆転で千葉勝ちとなった。新王将は「この1勝は本当に大きい……」。かみしめるように、そう言った。順位戦最高勝率を誇る棋士にして、この感慨がある。素人目にはまだこれからと思われた2局では宮田勝ち、横山負けの予想を残し、新王将は去っていった。結果はまさにその予想通りだった。

 深夜2時4分、最後に終わったのは飯島-佐々木戦。千日手指し直しの末、飯島勝ちとなった。「これだけいい将棋が指せたのだから……」。飯島さんは逆転昇級を確信したそうだ。しかし関係者は誰も見に来ない。結果は非情にも、次点だった。最後まで見届けた紬記者によると飯島さんは帰り道、「ハッピーエンドのドラマがあるでしょ? あれは全部ウソです。世の中にハッピーエンドなんてないんですよ」とやさぐれていたそうだ。

 東西の将棋会館から送られてきた棋譜を私がすべて入力し終わったのは、明け方近く。今では終局後、ほとんど間を空けずに棋譜をアップしているが、当時の状況ではすべては無理だった。徹夜で白鷺城に新王将の撮影に行き、帰りの新幹線で深々と寝入った。眠い目をこすって将棋会館にいくと、まだ茫然としている飯島さんの姿があった。ライバルたちの棋譜を、全部並べ直しにきたという。納得がいかない手をあげては「何ですか、これは?」と嘆く。ちょうど対局に負けた後の上川さんもため息をついているので、飯島さんの地元の水天宮あたりで飲むことになった。移動中に飯島カーから見た、午後の勝どき橋がきれいだった。そのとき私はふと、昔読んだ森下現九段の自戦記の一節を思い出した。弟弟子の深浦現八段が6期目にしてC2を通過した際に書かれたものだった。

 私もC2順位戦を5期戦ったが、5期目などは腐ってゆく自分との戦いだった。絶望感との戦いでもあった。……
 同期や後輩が昇級してゆくのを横目で見ながら、勉強するのは相当に辛い。またそれよりも、果して自分は昇級できるのかという不安、一生上がれないんじゃないかという絶望感のなかで、いつか必ず昇級できると信じて行う勉強も、なかなか結果が形に表れないのだから本当に辛い。勉強しても無意味ではないか、どうせ上がれないんじゃないかという、荒んでいく気持ちとの戦いだ。……
  ――『将棋世界』1998年6月号

 今も昔も変わらぬ、C級2組で悪戦苦闘する若手棋士の心情を余すところなく表した名文だと思う。「森下先生が書いてましたよ。『腐ってゆく自分との戦い』だって」。傍観者である私はいつでもそんなことを、適当な調子で言う。飯島さんは何度か首をかしげて、「最近聞いた言葉の中で、一番感動しました」。

 飯島さんは翌年、文句なしの成績でC級2組を通過した。人知れぬ努力の結果であろう。まあ正直なところそれは特に驚かなかったのだけれど、かわいい彼女を見せてもらったときには心の底から驚いた。何ですか、それは。飯島さんの照れたような笑顔を見て、実は世の中にはハッピーエンドしかないのではないかという気がした。

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C級2組最終11回戦

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 12日(日)は棋王戦第4局の移動日。金沢から新潟経由で東京に帰ってきた後、家で溶けるように眠る。

 13日(月)は原稿を書こうと思っていた日。朝10時を少し過ぎた頃、携帯電話の音で目が覚める。出ると竜王。「うっかりですか?」と言われ何のことか、咄嗟にわからず。この日は竜王邸にて桃鉄の続きの予定だった。ごとげんともども、うっかりしていた。大変失礼しました。西国分寺の竜王邸に到着したのは昼前。いつもの通り、ごちそうになった。前日の立川マラソン、将棋界は渡辺竜王と先崎八段の2人が参加だったが、囲碁界からは十数人の棋士が参加していたとのこと。美しい女流棋士も多数だそうで、その噂を聞きつけた将棋の若手棋士が来年から何人も参加しそうな気がする。

 14日(火)はC級2組最終11回戦。東京は14局で、烏記者と7局ずつを担当した。△西村九段(3-6)-▲安用寺五段(8-1)戦と▲西尾四段(5-4)-△阿久津五段(7-2)戦はそれぞれ、安用寺、阿久津勝ちで昇級決定。残る1枠は▲川上六段(4-5)-△村山四段(8-1)戦の結果に委ねられる。村山勝ちなら村山昇級。負けなら逆転で橋本五段昇級となる。川上六段は玄人受けのする実力者。正直なところ、ここは大変な勝負になると思っていた。棋譜と当日の模様は例によって、「名人戦棋譜速報」を見ていただきたい。大熱戦を制したのは、川上六段だった。

 15日(水)は遅く起きた後、A級プレーオフの設営で夕方頃に将棋会館に行く。村山さんがいたので「残念でしたね」と声をかけると、「いい将棋が指せたので」の返事。2年前、同門の飯島五段が次点に泣いたときのことを思い出した。飯島さんのように、来期は本命であろう。

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2006年3月18日

長い1年の終わりに

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(B級1組最終戦翌朝、午前7時の裏原宿にて)

2006年3月12日

金沢、兼六園

 午前、昨日の対局場から歩いてすぐの北國新聞会館にて、北陸ジュニア棋王戦を見学。橋本五段と本田女流二段の指導対局の模様を撮影。

 外は雨が降っているので、そのまま金沢駅まで戻って帰ろうかとも思うが、思い返してバスで兼六園に行く。写真は梅のつぼみです。

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 傘をさしながらとはいえ、もう少しうまく撮れなかったものか。少し残念。

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 雨が次第に本降りとなってきたので、春の岬の東尋坊どころか、すぐ隣りの金沢城も断念。金沢駅から「はくたか」に乗ろうとしたところで、雨が雪に変わっていた。

 ところで昨日の記述、米原から乗ったのは「しらさぎ」でした。ご指摘ありがとうございました。「はくたか」が向かうのは越後湯沢駅。途中窓の外に見えたのは、青い夕暮の中の雪景色だった。スキー帰りの若者たちにまじって「たにがわ」に乗り換え、東京に帰ってきたのは21時頃。明日は確定申告にいく予定だったが、きっとこれから準備もせず、すぐに寝てしまうのだろう。

棋王戦第4局

 昨日11日(金)はB級2組最終局が終わったあと、午前3時過ぎに帰宅。そのまま布団の上に倒れて、5時前に起床。あわてて家を出る。写真はいつもの通り、外苑西通りの朝です。

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 東京駅6時36分発の「ひかり」に乗って米原駅まで行き、北陸線「しらさぎ」に乗り換え。金沢駅からはタクシーに乗って棋王戦第4局対局場のホテルニューグランドに到着した。関係者の皆さま、大変お世話になりました。結果は森内挑戦者が大熱戦の末に羽生棋王を破って、3勝1敗で棋王位奪取。名人と併せて二冠となった。詳しい内容は北國新聞のページをご覧ください。局後のインタビューではじめて知ったのだが、森内新棋王は最近お子さんが生まれたそうだ。二重の意味で、おめでとうございます。

 打ち上げの会場にて、羽生先生から昨日のB級2組の結末を尋ねられる。結果は既報の通り、森九段の大逆転昇級。昨日から今日にかけて、何人もの驚いた顔を見てきたが、羽生先生も例外ではなかった。深夜の順位戦を間近で見るたびに、この仕事を続けてきた幸福を思う。ときに倒れそうなほど寝不足になりますけどね。来週はいよいよ順位戦も最終週で、C2、A級プレーオフ、B1と続く。

 今日は渡辺竜王(B2昇級おめでとうございます)に便乗して立川マラソンにエントリーしていたのだが、残念ながら参加できず。遠く離れた金沢の地から、ご健闘を期待しております。

2006年3月11日

朝日オープン挑決、B級2組最終11回戦

続けて中継を担当しました。
これから棋王戦第4局観戦のため、金沢にいってきます。

2006年3月 8日

C級1組最終11回戦

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あまりに劇的な結末に震えました。

2006年3月 6日

春模様

 最近のこと。記録を終えた奨励会員の某君が目を潤ませているので、どうしたの、と聞いたら「2人とも弱いんで悲しくなりました」。某君の目には対局者があまりに弱く映ったらしい。そうして上に行けない自分を省みて、やりきれない気分になったようだ。でもそれは順番で、その対局者も某君ぐらいのときにはきっとそう思っていたはずである。きっと棋界では昔から、同じようなサイクルが繰り返されてきているのだろうな、と思う。
 某君の発言を聞いたある若手棋士も記録を取っていた頃のことを思い起こして、「詰みがあるからもう終わりかと思って座り直すと、全然違う手を指されたりしてね」と笑った。そして続けて「でも実際にやってみると全然違う。君じゃあ勝てないと思うよ」。某君が実力を見せるには、四段に上がる以外に方法はない。

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 今日は春らしく花でも撮りにいこうかと思っていたのだが、いつものように締切に追われて、断念。写真は4月、昔近くに住んでいた中目黒の西郷山公園にて撮りました。

 近代将棋とNHK将棋講座テキストの原稿を提出して一息ついた後、将棋会館に出かける。控え室に女流王将戦準決勝の石橋四段-鈴木1級戦の棋譜があったので並べて、感想戦を少しだけ見学させてもらった。明日のC級1組最終戦の部屋割を聞いて、早めに帰宅。明日の準備をしなければと思いながらもつい寝入ってしまい、起きたらこの時間になっていた。

2006年3月 5日

女流育成会終了

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 上の写真を見た某さんが、私の聴いたことのない歌をうたって教えてくれた。スピッツの「ガーベラ」という曲らしい。若い皆さんとのジェネレーションギャップを、いっそう痛切に感じる今日この頃です。

 女流育成会は全日程を終え、熊倉さんが10勝1敗で初の昇級点。伊奈川さんは9勝2敗の次点で、惜しくも昇級はならなかった。

 一陽君のママに写真と星取表を送って、今日の仕事は終了。熊倉さんの笑顔と詳しい結果は、女流棋士会のページをご覧ください。

女流育成会最終日

 今日は女流育成会最終日。某紙の取材と女流公式ページの連絡係を兼ね、朝から将棋会館にいる。ここには1週間7日のうち、5日ぐらいは通っていると思う。

 午前の結果を待つ間、記者室でNHK杯準決勝▲三浦八段-△渡辺竜王戦を観戦した。先日三浦八段に食事をご馳走していただいた際、「最近印象に残った対局はありますか」と尋ねてみたことがある。返ってきた答えは2局。
 1局はC級1組9回戦の▲宮田五段-△北島六段戦だった。私もリアルタイムで観戦していたが、あのときの宮田さんは神に見えた。
 あともう1局は、NHK杯の三浦-渡辺戦。内容については今日の放映を見てはじめて知った。なるほど、これは世紀の大逆転である。三浦八段は最近、NHK杯や朝日は惜しいところで負けてしまった。しかしA級順位戦では辛くも逃げ切り、残留を決めている。

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 現在は女流育成会の午後の対局が終わるのを待っているところ。写真は先ほど、鳩森神社で撮ってきたものです。

2006年3月 4日

A級最終9回戦

 順位戦中継のページリニューアルを前にして、1日(水)は最後の打ち合わせ。現場担当として急遽登板してもらった大塚記者と一緒に毎日新聞に行く。一晩寝ずに考えたというペンネームは、住んでいる場所にちなんでいるそうだ。

 2日(木)は牧野さんと一緒に将棋会館4階の控え室の設営。ADSL接続のため、5階から数十メートルのLANケーブルを引っ張ってくるなどは、無線LANが存在している時代の作業とは思えない。一度帰ったあと急用ができてまた将棋会館に向かう。深夜1時頃帰宅。4時頃まで事前の準備。

 3日(金)は本番のA級最終9回戦。詳しくはこちらをご覧ください。写真は晴れ間がのぞいていた昼休み、鳩森神社で撮りました。

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 スタッフにとっては、いつものように長い一日だった。

 4日(土)はA級最終戦が終わった後だからと自分を甘やかして、終日布団の中で寝込んでいた。