彦根の思い出
前日より、寝床で寒気に震えながら一晩を過ごす。明けて19日(木)、起きて近所の医院に行く。検査してもらったところ、どうも酸素の運搬率?が通常に比べて著しく低いらしい。処方箋をもらって、近所の薬局で抗生物質等を購入。家に帰ってそれらを飲んで、あとはまたひたすら寝た。

ところでこの日は王将戦第2局1日目。例年と同様に、彦根プリンスホテルでの対局である。
昨年の中継アーカイブを見てみると、1月17日は東京でA級7回戦▲丸山九段(3-3)-△三浦八段(2-4)戦の担当をしていた。王将戦第2局の前日だった。よく覚えていないけれど、きっと他の担当者の都合がつかなかったのだろう。
翌18日朝は始発の新幹線に乗り、8時半頃に最寄の米原駅に到着。対局開始時刻の9時前に現地に到着し、心底ほっとしたのは覚えている。1日目の日程終了後、一息ついたあとはC級2組9回戦のサポート。東京から送られてきた棋譜の山と格闘して、気づいたら朝5時ぐらいになっていた。
2日目の19日には大阪から翔記者も駆けつけ、これで万全の体制と思った矢先、突然気分が悪くなり動けなくなった。私もいい大人なのでたいていのことならば我慢して仕事をするが、どうもそういう状態ではなかった。なんにせよ、あの場に頼れる相棒の翔さんがいてくれてよかった。一切を翔さんに任せて終局まで無事終わったのを知った後は、力尽きて救急車で運ばれた。彦根市民病院までずっと付き添ってくれたスポニチのAさんにはいまだに「あのときの胃液は緑色だったね」とからかわれる。こうして出張先で多くの人に迷惑をかけるのならば、都会の片隅で一人ひっそりと死んでいる方がいいと思った。1年経ってみて、幸か不幸かその願いは実現したようだ。

夕方起き出してみるとずいぶんと体が楽になったような気がしたので、将棋会館に棋聖戦最終予選の森内名人-渡辺竜王戦を見学にいく。控え室の村山四段によると、「これほど紆余曲折あった序盤戦は見たことがありません」。並べてみると、中盤奥深くまで進んでから、また序盤に戻るという展開のようだった。素人目には途中、ずいぶん竜王がいいように見えた。ところが名人が懐の深さを見せてよくわからないうちに逆転し、結果は名人勝ち。検討陣の誰かが戦形、および内容的に、昨年度の王座戦挑戦者決定戦の例を引き合いに出していた。
あとは竜王戦6組2回戦の依田六段-清水女流三冠戦を終局まで見て帰りたかったのだが、調子が悪くなって残念ながら撤収。どうも風邪は悪化したようで、また一晩中うなされた。

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