2006年1月31日

A級8回戦前日

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 写真は毎日新聞のビル6階から見た、皇居や大手町の風景。昨日はレディース表彰式が終わった後、将棋会館に移動する。4階の特別対局室奥、および大広間の高雄、雲鶴にウェブカメラを設置するための工事が進行中だった。これでA級8回戦から、大広間の2局もリアルタイムで中継できるようになる。

 注目の棋聖戦最終予選・羽生四冠-村山四段戦は工事の関係上、5階の香雲でおこなわれていた。8つの対局室は最上位の特別対局室から順に序列があって、香雲は下から2番目。若手や女流棋士の対局が多い香雲で羽生四冠が指しているのは、少なくとも私は初めて見た。途中は村山四段が善戦し、勝ちではないかと言われていた。しかし勝負を制したのは、またもや羽生四冠。これで連勝記録は17に伸びた。感想戦終了後、記者室に引き上げてきた村山四段は「金打ったあたりは、われながらイケてたと思ったけど」。

 今日は女流名人位戦五番勝負第2局。矢内挑戦者が清水名人を降して2連勝となった。感想戦の模様を撮影後、某組織のHP担当の先生に送信。写真をよく見ると、矢内さんの手には「昇雲」と揮毫された山崎隆之NHK杯の扇子が握られていた。

 20時過ぎ、毎日新聞の牧野さんとともに、明日のA級8回戦の控え室でネット中継の設営を始める。今年度も残りわずか。

2006年1月30日

レディース表彰式

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 一昨日の松尾邸。キッチンには「これから出荷するんですか?」というぐらいの大量の野菜が並べられていた。下蒲刈島から送られてきたらしい。機会があれば、そこから眺める瀬戸内海の夕暮を撮りたいものです。いちごもおいしかった。上のイメージ画像は、私が生まれた響灘の島から、他の島を見て。

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 昨日の競馬。竜王をはじめ、皆さまありがとうございました。大変楽しかったです。勝ち組は三連単的中の大庭ねえさん、伊奈五段、内田記者。私はかつてまえはる氏が健筆をふるっていた「勝馬」を参考に、少し贅沢な夕食代ほどいただきました。

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 最終レース、竜王推奨のサヨウナラの前に、ニジノカナタヘをつなげて馬単で買ってみる。「虹の彼方へさようなら」とは、夕暮の競馬場の風景にあいまって、リリカルな感じじゃないですか。かすりもしなかったですけれどね。

 今日は竹橋にてレディースオープンの表彰式。某組織より写真を頼まれていたのに、起きるとちょうど12時で飛び上がった。タクシーに飛び乗り開始時刻と思っていた12時半少しすぎに会場に着くと、13時開始と聞いて全身の力が抜けた。石橋先生、改めておめでとうございます。下の写真は石橋さんと、ジェイ・クックの中尾さんご夫妻。

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2006年1月29日

東京競馬場

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 渡辺竜王主宰の競馬の会で、府中に来ています。
 写真上は竜王夫人撮影。中央が私(松本)です。
 下は第5レース、大庭美夏先生が万馬券を取った瞬間。

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2006年1月28日

新松尾邸にて

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 松尾夫妻の新居に遊びにきています。将棋会館まで自転車で20分ほどだそうです。いい住環境でいい部屋なのだが、テレビが少し古いのでプレステがうまくつなげず、桃鉄ができないのが残念。
 机の上に置いてある対局時計は11分と妙な時間に設定されている。何かと思えば、朝作ったパスタのゆで時間だそうだ。

2006年1月27日

朝日オープン2連投

 昨日に引き続き、朝日オープン2回戦の中継。今日は渡辺竜王-藤井九段戦と、森下九段-畠山成七段戦の2局を同時に担当した。詳しくはasahi.comの将棋のページをご覧ください。

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 写真は去年4月7日に名古屋で指された五番勝負第1局の翌日、小菅剣之助ゆかりの笠寺観音で見た桜です。ところで今思い出したけれど、取材に訪れていたM記者が泊まるホテルにてボヤ騒ぎが起こった。深夜、非常ベルが鳴るので起きてドアを開けると、廊下に煙が充満していたそうだ。恐ろしい話である。

 終局後、農水省氏とジェイ・クックで夕食。疲れのせいか、家に帰ると急速に眠くなった。

2006年1月26日

嚢中の錐

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 羽生選手権者に山崎六段が挑戦した去年の朝日オープン五番勝負、5月4日に大阪でおこなわれた第3局は中継の抜番だった。家にいるのも何だか落ち着かないので築地の朝日新聞本社の解説会にいくと、あまりに人が多くて中に入れない。写真はそのとき、近くの浜離宮庭園で撮ったものです。

 今日は朝日オープン本戦2回戦・郷田九段-山崎六段戦中継のため、将棋会館に行く。朝の記者室で、よく知った顔を見る。かつての明治のエース伊藤享史君が、今日から「週刊将棋」の現場記者として登板するそうだ。将棋業界にいると、何となく過疎の地方都市で暮らしているような心持ちがする。しっかりした人が新たに住人になるのはうれしい。

 郷田-山崎戦は郷田九段が遺憾なく実力を発揮して快勝。山崎六段にしてみれば序盤の趣向が実らず、不出来な一局だった。持ち時間各3時間で15時8分の終局は、自分が中継を担当した中では最速終了記録である。

 郷田-山崎戦の記事を書き終えた後は、王将戦予選1回戦・沼六段-瀬川四段戦の検討を見学。局面は瀬川さんが敗勢である。山崎六段と戸辺三段が瀬川さんの側を持っていろいろ手段を講じてみるものの、形勢はいかんともし難い。やがて将棋の検討は打ち切られる。瀬川さんのブログでも伝えられている通り、結果は瀬川さんの負けだった。沼六段にとっては23連敗を止めたことになる。

 その後山崎、戸辺両氏とお茶でも飲みましょうということになり、気分を変えてジェイ・クックで棋界の浮いた話の検討となった。山崎さんは時おり、「今はまったく将棋が勝てる気がしません」とこぼす。まあ、いつもの山崎節である。河口俊彦七段流に言うと「錐の嚢中に処るがごとし」。そのうちまた復活して、爆発的に勝つのだろう。

 山崎さんが大阪に向かって帰っていった後、戸辺君と再び将棋会館に戻る。今日が1日目の王将戦第3局は佐藤棋聖後手で、相横歩取り。某関係者から夕食休憩をはさんで考えたとあるけれど、どういうことですかという問い合わせがあった。王将戦は1日目、2日目とも夕食休憩はないはず。おやおやと思って記事を読んでみると、18時を過ぎて封じ手をすることが決まった佐藤棋聖が異例の長考をして19時を過ぎ、規定により1時間の夕食休憩に入ったようだ。加藤、中原の時代のそうした例を思い出し、現在でも起こりうることなのかと驚いた。22時頃将棋会館をあとにして、家路についた。

 ところでまたありがたいことに、2月14・15日、周防大島でおこなわれる王将戦第4局はレポーター役として観戦できることとなった。山口に帰るのは昨年5月、宇部でおこなわれた名人戦第4局以来である。

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2006年1月25日

皆さんのおかげで生きてます

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 朝起きてどこか写真でも撮りに行こうかと思っていたのだが、電池が切れていた。まあ、仕事でなくてよかった。一関でおこなわれる王将戦第3局は今日が移動日。現在15連勝中の羽生王将のハードスケジュールを遠い世界の出来事のように思いながら、何も用事のない自分は二度寝をした。上の写真は去年11月の竜王戦第3局の際、一関の隣り、平泉・中尊寺で撮ったものです。

 昼頃、小暮さんより電話。なぜか昼から一杯というお誘いだった。酒豪として数々の伝説を残す小暮さんだけれど、ご一緒させていただく席はいつも楽しい。待ち合わせの時間まで少し時間があるのでジェイ・クックでコーヒーを飲んでいると、将棋会館で仕事中という石橋さんがお母さんと一緒にやって来た。ちょうどこの頃、外苑西通りをはさんで歩いて数分のところでボビー・オロゴン氏が大暴れしていたとは知る由もなかった。

 千駄ヶ谷駅から総武線に乗って吉祥寺に行き、14時、小暮さんと焼き鳥の「いせや」に向かう。昔隣りの三鷹に住んでいたときには何度も通った懐かしい場所である。小暮さんに「ところであなた、将棋界を揺るがす大ニュースをもう知っているかね?」と聞かれ、さっと景気の悪いうわさが5つぐらい脳裏をかすめる。聞いてみると心和む話でほっとした。岩根さん、おめでとうございます。「リレーエッセーはどんな感じですか」と尋ねたときに返ってくる「えへへー」という笑顔が大きく浮かんだ。いせやでは3時間以上飲んで、いつものように小暮さんにごちそうになった。

 18時過ぎに将棋会館に寄ると、今日は短時間の対局が多いせいか、控え室にはほとんど人がいなかった。事務室でひとしきり岩根さんの結婚に関する話に耳を傾けた後、会館を後にする。ジェイ・クックで再び石橋さんとお母さんに会い、風邪薬の束とホットレモネードをごちそうになった。

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Sウェルター級タイトルマッチ

 午後、対局予定表を見ながらそろそろ将棋会館に行こうかと思っていた頃、近将の相崎記者より電話。今日の後楽園ホールのボクシングのチケットが余っているんですが、というお誘いで、一も二もなくついて行くことにした。どんな試合でもいいので、一度はボクシングを見に行きたかったのだ。調べてみると、メインイベントは東洋王座、日本王座をいずれも保持するクレイジー・キムに川崎タツキが挑むスーパーウェルター級のタイトルマッチ。二冠をかけての試合は異例で50年ぶりなのだそうだ。心をはずませて将棋会館に寄り、竜王戦1組の森内-阿部戦、羽生-先崎戦などをちらりと見た後で後楽園ホールに向かった。

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 JR水道橋駅で降りると集合時間にまだ時間があったので、少し散歩をする。東京ドームの夕暮れを見ているうちにウルトラクイズの○×問題で間違ったことを思い出し、頭に血が上った。ウィンズの前からサガサキ、ごとげん両氏と連れ立って、後楽園ホールに入る。やはりライブで見ると、選手の息遣いのリアルさが違うと感じた。

  18時に4R、デビュー戦同士の試合が始まって、少しずつ客席は埋まっていく。最後から2番目のミドル級10Rの保住直孝-岡田山金太郎戦あたりでは、すでに座れない人が出るほどの盛況ぶり。両者のキャラを反映してかヤジも次第に殺伐としたものとなる。劣勢の金太郎選手はふてくされたような態度から時折大振りをヒットさせて会場を沸かせていたが、最後はレフェリーが突然キレたようにTKOを宣言して試合は終了した。保住選手は聞き手のお姉さんにマイクを向けられると、「××××ーー!!」と放送禁止用語を絶叫して、勝利者インタビューも文字通り一言で終わった。

 さて、いよいよメインイベントである。二冠をかけての異例の戦い、というのは例えば今年度、王位戦七番勝負と王座戦五番勝負で羽生王位・王座に佐藤棋聖が挑戦をしてそれぞれタイトル戦がおこなわれたけれど、それをまとめて一度にやってしまおうというノリである。チャンピオンのクレイジーキム選手は世界をも嘱望される実力者であり、愛嬌があってファンも多い。一方の川崎タツキ選手はヤクザ稼業から足を洗い、薬中を克服してボクシングで再起をかけた、異色の経歴を持つ苦労人。会場もそれをよくわかっている。このストーリーで盛り上がらないはずがない。事前の予想はキム乗りが圧倒的だったが、声援は8-2でタツキが多かったと思う。

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 1Rからタツキは猛ラッシュを浴びせ、場内は騒然となった。しかしキムの懐は深く、決定打を与えない。手厚く受けきったキムは的確に反撃を重ね、白いパンツはタツキの返り血で赤く染まっていった。タツキは勝負をあきらめずに前へ前へと出ていく。客席からは割れんばかりの大歓声。振り返ってみても、震えるような名勝負だったと思う。最後はレフェリーが試合を止めて、キムのTKO勝ちとなった。

 ところで私の席の隣りでは、小林宏六段にあまりにそっくりな方が観戦していたのでびっくりした。試合終了後おそるおそる挨拶をしてみると、やはり小林六段だった(当たり前だ)。小林六段は週に1度は後楽園ホールに足を運ぶという本物のボクシング通。「いやあ、平日でこんなに人が入っているのは見たことがない。僕はクレイジーキム選手が好きでねえ」とのことだった。

 後楽園ホールを出た後、総武線に乗って千駄ヶ谷の将棋会館に戻る。将棋会館ではちょうど、メインイベントが終わったところだった。

2006年1月23日

竜王就位式

 午後、将棋会館に出かけ記者室で原稿の直し。三段リーグ11回戦は上位陣が崩れて、混戦の気配か。近将の相崎記者には刷り上ったばかりの3月号をいただく。どうもありがとうございます。

 夕方、大手町のパレスホテルに移動し、18時からの竜王就位式にお邪魔をさせていただく。渡辺竜王、および各組優勝の皆さま、おめでとうございます。豪華メダルをもらった6組優勝の片上四段は「今期まだ(5組で)負けていなくてよかったです」。

 会場では多くの方から「風邪は大丈夫?」と心配をされる。「歳をとると治りが遅いということですな」と嘆くと、19歳のばんかなさんに「私ももう初老ですー」と言われた。
 瀬川さんに「本当はサザンではなく、さだまさしファンって本当ですか」と尋ねると「いやあ、さだまさしのコンサート、1回行ったことがあるんですよ」とのことだった。

2006年1月22日

雪の風景

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 脈絡はないですが、上は昨年1月の王将戦第1局、那須塩原温泉にて。

 下は昨年11月の竜王戦第3局対局場の近く、平泉・達谷窟にて。雪が積もるとまた違った美しさがあるのでしょうね。今週の王将戦第3局も同じところで指されるので、行かれる方はぜひ足を伸ばしてみてください。

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瀬川四段サイン会

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 昨日の夜、新進気鋭のライターXさんからメールがあった。瀬川さんの六番勝負第1局に関しての問い合わせで、あれはちょうど半年前の7月18日だったから、なるほど、今日という日が寒いわけである。終局後、新宿の紀伊國屋を出て、千駄ヶ谷の将棋会館まで歩いたときの暑さは忘れ難い。

 今日は昼ごろ起きだし、ジェイ・クックでランチ。ようやく食べ物の味もわかるようになってきた。キラーストリートの坂で転げそうになりながら、13時半頃将棋会館に行く。控え室には関係者の姿はなかった。2階の道場で『週刊将棋』を買った後、『棋士 瀬川晶司』(日本将棋連盟刊)のサイン会の写真を撮りに紀伊國屋に向かった。

 14時前に紀伊國屋2階の会場に到着してしばらくすると、瀬川さんの側には7、8人の行列ができた。瀬川さんは「夢」という字を丁寧に書き、望まれるまま握手に応じる。行列が途切れる頃に自分も並ぼうと思っていたのだが、これがまったく途切れない。よく見たら少し離れた階段から続きがあって、4階までらせん状に人が並んでいた。馬券購入のため遅れて到着したまえはる氏と顔を見合わせ、とりあえず近所のドトールで一息をつく。戻ったところでようやく終盤戦。予定時刻を大幅に過ぎてサイン会はお開きとなった。連日過密スケジュールの瀬川さんは、今日も大変お疲れさまでした。

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2006年1月21日

大寒

 昨日も風邪継続のため、終日寝床で伏せる。隣りで桃鉄99年の3周目に突入していた某氏に頼んで原稿の直しをファックスしてもらい、スポニチと『のだめ』とのど飴を買ってきてもらう。
 竜王戦6組2回戦の中田功七段-瀬川四段戦は何とか見学にいきたかったのだが、断念。結果は早い段階で中田七段勝ちとなっていた。彦根の王将戦第2局は大熱戦だったようだ。

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 今日は起きると大雪。まだ鼻がつまっているせいかジェイ・クックのスープもミラノ風カツレツも味がよくわからない。午後、『我、拗ね者として生涯を閉ず』(本田靖春著、講談社刊)を読んだ後、神宮外苑で雪にまみれる。寒い寒い日なりき。

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彦根の思い出

 前日より、寝床で寒気に震えながら一晩を過ごす。明けて19日(木)、起きて近所の医院に行く。検査してもらったところ、どうも酸素の運搬率?が通常に比べて著しく低いらしい。処方箋をもらって、近所の薬局で抗生物質等を購入。家に帰ってそれらを飲んで、あとはまたひたすら寝た。

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 ところでこの日は王将戦第2局1日目。例年と同様に、彦根プリンスホテルでの対局である。
 昨年の中継アーカイブを見てみると、1月17日は東京でA級7回戦▲丸山九段(3-3)-△三浦八段(2-4)戦の担当をしていた。王将戦第2局の前日だった。よく覚えていないけれど、きっと他の担当者の都合がつかなかったのだろう。
 翌18日朝は始発の新幹線に乗り、8時半頃に最寄の米原駅に到着。対局開始時刻の9時前に現地に到着し、心底ほっとしたのは覚えている。1日目の日程終了後、一息ついたあとはC級2組9回戦のサポート。東京から送られてきた棋譜の山と格闘して、気づいたら朝5時ぐらいになっていた。
 2日目の19日には大阪から翔記者も駆けつけ、これで万全の体制と思った矢先、突然気分が悪くなり動けなくなった。私もいい大人なのでたいていのことならば我慢して仕事をするが、どうもそういう状態ではなかった。なんにせよ、あの場に頼れる相棒の翔さんがいてくれてよかった。一切を翔さんに任せて終局まで無事終わったのを知った後は、力尽きて救急車で運ばれた。彦根市民病院までずっと付き添ってくれたスポニチのAさんにはいまだに「あのときの胃液は緑色だったね」とからかわれる。こうして出張先で多くの人に迷惑をかけるのならば、都会の片隅で一人ひっそりと死んでいる方がいいと思った。1年経ってみて、幸か不幸かその願いは実現したようだ。

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 夕方起き出してみるとずいぶんと体が楽になったような気がしたので、将棋会館に棋聖戦最終予選の森内名人-渡辺竜王戦を見学にいく。控え室の村山四段によると、「これほど紆余曲折あった序盤戦は見たことがありません」。並べてみると、中盤奥深くまで進んでから、また序盤に戻るという展開のようだった。素人目には途中、ずいぶん竜王がいいように見えた。ところが名人が懐の深さを見せてよくわからないうちに逆転し、結果は名人勝ち。検討陣の誰かが戦形、および内容的に、昨年度の王座戦挑戦者決定戦の例を引き合いに出していた。

 あとは竜王戦6組2回戦の依田六段-清水女流三冠戦を終局まで見て帰りたかったのだが、調子が悪くなって残念ながら撤収。どうも風邪は悪化したようで、また一晩中うなされた。

2006年1月20日

風邪をひく

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 順位戦中継連投明けの18日(水)は原稿の締切。何とか形を作って昼過ぎにファックスし、ほっと一息をつく。そのまま将棋会館でいろいろな対局を見学していくかと思った瞬間に、猛烈な悪寒に襲われた。これは間違いない。今度こそ食当たりではなく風邪であろう。外気の冷たさに震えながらほそ島やの坂を下り、外苑西通りの坂を上って家を目指す。ジェイ・クックに寄ると、風邪ならばこれとホットレモネードを作ってもらう。あとは家に帰ってひたすら寝た。

C級2組9回戦

 連投で17日(火)はC2の中継。A級は原則1人1局の担当だが、他のクラスの一斉対局は東西1人ずつとなる。事務処理能力と体力の勝負だ。深夜、サーバ不調のため数十分の間指し手が更新されないというトラブルが起こる。現在のシステムでは初めてのケース。何度も同じことを書いているけれど、中継の最中にはありとあらゆるアクシデントが起こる。そこでいかに冷静に対処できるかが、現場担当者の技量でもある。

 さてこの日は内容的にはきわどい場面が何度も見られたものの、結果的にはおおむね上位陣が星を伸ばした。
 話題となったのは、▲片上四段(4-3)-△長岡四段(1-6)戦。降級点の危機を迎えた長岡新四段にとっては、負けられない大一番だった。二転三転の最終盤は、ついに長岡四段の勝ち。しかし秒に追われた長岡四段は絶妙の決め手が見えず、勝っている局面で投了してしまった。プロの公式戦で過去にそうした例が何度もあったのは知識としては知っていた。しかし現場を見たのは初めてである。私は棋譜のコメントに、「長岡は顔を真っ赤にしてうめいた」と書いた。後で長岡四段からは「部屋が暑かったせいですよ」。某四段からは「長岡君の顔はいつも少し赤くないですか」と言われた。なるほど、そうかも知れない。現在あまり使わない表現を使うと、「紅顔の美少年」というやつだ。写真を見返してみると長岡四段の耳はやはり真っ赤で、幻庵因碩VS本因坊秀策の「耳赤の一手」の故事を思い出した。

 すべての対局が終わって一息ついた午前4時頃、外に出ていた某四段と某三段が将棋会館に戻ってきた。大勢で飲んでいたところほとんどが酔いつぶれ、一人が店内で粗相をしたところで追い出されてしまったそうだ。将棋会館に生還した2人はまだまだ元気。9回戦まで白黒が埋まったC2の表を見ながら、誰が強くて誰が弱い、誰が抜けそうで誰が危ないという話が尽きない。私はこの日締切の原稿を気にしながら、ぼんやりそれを聞いていた。

2006年1月19日

A級7回戦3局

 16日(月)はA級7回戦の3局、羽生四冠(5-1)-久保八段(2-4)、佐藤棋聖(4-2)-藤井九段(2-4)、森下九段(2-4)-郷田九段(3-3)の中継。私の担当は羽生-久保戦で、久保八段の四間飛車に対して羽生四冠は居飛車穴熊に組んだ。昼過ぎ、免状署名を終えて中継作業室を訪れた渡辺竜王は「最近羽生さんが穴熊で負けたのを見たことがないですね」。言われてみればそんな気もする。

 夕方、書道部の例会が終わった片上四段から「松本さんへ」と為書された立派な色紙をいただく。ありがとうございます。しかし話をよく聞いてみると、他の松本さんに書かれたものの失敗作をもらったようだ。夕食休みの間、戸辺三段と私の親友の強豪氏との10秒将棋を見学。結果は将棋倶楽部24で3000点を誇る戸辺君が底力を見せて逆転勝ち。いつものように親友に乗っていた私は、戸辺君に「ふじもと」のヒレカツ定食(2400円)をごちそうした。

 テレビを特別対局室の盤面からニュースに変えると、ライブドア強制捜査とのこと。ここの社長が球団買収で知名度が高くなる前、ある雑誌で「自分はすでに桃鉄100年目の状態で、自己資産は確定しているから後は何が起こっても大丈夫」というようなことを言っていたと思う。桃鉄は逆転のゲームなので、続けているうちに何でも起こるということか。

 羽生-久保戦は、羽生四冠がまさかの強襲からきれいに攻めをつなげて快勝。居飛車穴熊の名局であろう。全局終了後、2時過ぎに将棋連盟を出て家に帰った。翌朝、C2順位戦開始前に継作業室を訪れたある若手棋士に「どうですか、これ!」と羽生四冠一連の手順を見せる。もちろん私が指したわけではないですけれどね。そうして、「なななな、なんですかこれは」と驚いてくれる人の顔を見るのが、この仕事の楽しみでもある。

2006年1月15日

締切、中継、桃鉄の合間に

 王将戦第1局2日目の深夜、検討が一段落した後は順位戦中継の観戦となった。B1は深浦八段が1期でA級復帰を決める。そういえば深浦八段は2期前のB1でも、残り2戦を残して昇級が決まっていた。青野九段は残念ながら降級が決定。昇級、降級とも、あと1枠をめぐる争いは熾烈をきわめそうだ。B2は畠山鎮六段が8連勝で昇級決定。最後まで残った飯塚-屋敷戦を見終わったときには、午前2時前だった。中継担当の皆さんは遅くまでおつかれさまでした。

 昨日は移動日。9時28分那須塩原発の新幹線に乗り、東京に戻ってくる。将棋会館でほっと一息。敏腕編集者氏に締切をうかがったところ、ほとんど時間がないことがわかる。控え室にて奨励会員の皆さんが指す将棋をしばらく見学した後、ジェイ・クックにて夕食。先日『初代総料理長サリー・ワイル』の著者の方が店主の中尾さんを訪ねてこられたそうだ。スイス出身のサリー・ワイルは日本の西洋料理のパイオニアのような存在。現在はほとんど省みられない人物の足跡をたどっていくノンフィクション物は好きなので、本を貸してもらってしばし熟読した。中尾さんはヨーロッパ修行時代、サリー・ワイルと会っていたかも知れないそうだ。帰って原稿に取りかかろうとしたのだが、すぐに目を明けていられなくなった。

 明けて本日は竜王邸にて桃鉄の定例会。いな大統領の神がかり的な巻き返しとごとげんの失速で大混戦となった。現在は休憩中で女流名人位戦第1局を観戦しつつ、このブログを更新したところです。

2006年1月14日

王将戦第1局2日目

 結果は既報の通り、羽生王将の勝ち。100局が終わった時点での対戦成績は羽生69勝、佐藤31勝となった。羽生圧勝に思われた中盤の局面がいい勝負だというのには本当に驚いた。早く終わるという予想はたいてい当たらない。長くなりそうという予想は、ほぼ当たるけれど。終盤では逆転して佐藤棋聖よしと思われたのだが、羽生王将の寄せが相変わらず見事すぎてまた驚いた。打ち上げが終わった後、佐藤棋聖は控え室で関係者をまじえて最終盤の検討を再開した。調べてみると奇跡的な攻防の順が次々と現れる。しかし棋聖勝ちの順は、ついに発見されなかった。

 王将戦七番勝負は今後もネット中継はなし。私にとっての仕事は、第1局の某誌レポーター役で終わりとなる。関係者の皆さまには大変お世話になりました。あとは一ファンとして、スポニチの紙面を楽しみにしたいと思います。

2006年1月13日

王将戦第1局1日目

 昨日は朝5時過ぎに家を出て、上野6時18分発の東北新幹線に乗る。1時間少しで最寄の那須塩原駅に着き、タクシーに30分ほど乗って現地に到着。何人もの関係者から「えっ、中継あるんですか?」と聞かれる。いえいえ、今回は他誌の取材です。対局開始前後の写真を撮った後は、控え室でぼんやりとモニターテレビを眺める。記録的なスローペース。普段ネット中継を担当しているときはどんな展開になろうとも、あっという間に時間は過ぎていくのだが。
 午後は週将の小林記者に便乗して、那須神社と那須与一像の撮影。思った以上に近かったので、帰りは少し時間をかけて歩いてみる。それでも盤上はほとんど動いていなかった。18時、封じ手の写真を撮って1日目の仕事終了。
 夜は控え室で、恒例のボナンザ大会。観戦記担当の加藤昌彦さんを相手にボナンザが好手を連発するシーンを見た佐藤棋聖は、その強さに舌を巻いていた。多くの人が娯楽室に移った後は、翔記者が担当するA級7回戦▲谷川(5-1)-△鈴木(2-4)戦を観戦。2年前の王将戦第1局1日目はA級の谷川-丸山戦と重なったことを思い出す。同じように森内挑戦者が、途中まで観戦していた。当時中継スタッフは私1人。大阪の岡本初段に逐次ファックスや電話で指し手を教えてもらって、新潟で更新をしていた。結果は谷川負けで、早々に森内・名人挑戦が決まった年だった。今日の結果は、谷川勝ち。名人挑戦権争いは最終日までもつれそうだ。

2006年1月12日

王将戦開幕

 順位戦中継が終わった後は明け方まで奨励会の人たちが指す将棋を見て、家に帰ったら5時頃だった。寝て起きると昼過ぎ。ジェイ・クックのランチは鶏と大根の煮込みだった。その後また寝て、起きると夜中。所要のためあわてて藤田家に行き、一陽(いちよう)君の顔を見て終電で帰ってきた。

 明けて本日から王将戦七番勝負が開幕する。第1局は栃木県大田原市「那須野ケ原ベルビューホテル」にて。羽生-佐藤康戦、100局目のメモリアルでもある。ただしリアルタイムでのネット中継は諸般の事情により中止。ネット中継とは関係のない立場で、これから現地に行ってきます。

C級1組9回戦

 10日はA級7回戦の丸山(4-2)-三浦(1-5)戦とC級1組7回戦の中継。朝起きて、将棋会館に向かう。自宅から将棋会館までは、朝の早めの足だと歩いて10分ぐらい。3年間この仕事を続けてのささやかな自慢は、どんなにタイトなスケジュールでもほぼ遅刻がないことである。A級は烏記者に任せて、自分はC1を担当する。前日も書いたとおり、岡崎(8-0)-渡辺(6-1)戦、山崎(7-0)-松尾(5-2)戦が特に注目される組み合わせであった。

 昼休み、中継作業室に山崎六段が遊びに来る。ずいぶんと眠そうなのは、事情があってほぼ徹夜だからだそうだ。大一番を前にして図太いというか、何というか。まあしかし、無頼な山崎さんにとってはいつものペースか。対戦相手の松尾五段は休憩中も盤の前に座って考えている。結果は山崎六段が終始リードを保っての、完勝だった。
 岡崎六段は初手を指す前に4分を使っていた。いつも書くことだけれど、カメラを構える側からすればこの時間はずいぶん長く感じられる。岡崎六段は意欲的な構想を見せたが実らず、最後は渡辺竜王の勝ちとなった。
 北島(5-2)-宮田敦(4-3)戦は宮田五段の終盤力が爆発した感動の名局。人類最後の砦の一人となりそうな宮田さんだが、終盤で手が見えないと苦笑した後、感想戦での詰む、詰まないの検討の際にはパソコンがほしいと言っていた。

 C級1組の状況を整理すると、1敗の石川六段、千葉五段らが星を落とし、昇級の可能性が残っているのは以下の3名となった。

 山崎隆之六段(8勝0敗、3位)石川、平藤
 渡辺 明竜王(7勝1敗、6位)長沼、窪田
 岡崎 洋六段(8勝1敗、19位)――、中田功

 後ろは残り2戦の対戦相手。棋譜や詳細は名人戦順位戦中継をご覧いただければ幸いです。

 以下はとりとめのないメモ。

・夕方、瀬川さんが中継作業室を訪問。取材を2件こなしてきたとのこと。「メイドのお姉さんに囲まれた写真を見ましたよ」と言うと、瀬川さんは激しく動揺していた。

・「今度山ちゃん(山崎六段)を誘ってボウリングに行こうよ。190ぐらいいくらしいよ」と戸辺君に言うと「いまはボウリングどころじゃないんですよ!」。はい、すみませんでした。

2006年1月 9日

決戦前夜

 昨日は指導対局が終わった後、南越谷の「三貴」というお好み焼き屋で日刊スポーツの赤塚さんにごちそうになった。赤塚さんは多くの将棋のイベントで精力的に取材されている。今回の取材も近々大きな記事となるそうだ。何枚ものもんじゃ焼き、お好み焼きが消えた後、さらに石橋さんが威勢よく焼きそばを頼むので気が遠くなった。赤塚さんの手馴れた焼き方は職人芸のようだった。

 今日は原稿の締切日。鳩森企画・神宮前オフィスにはプリンタもファックスもないので、フロッピーにファイルを入れ、外苑前のキンコーズまで歩く。いざプリントアウトしようとしたとき、自分が確信を持って間違ったファイルを入れてきたのがわかり気が遠くなった。立川マラソンの練習と思って家まで走って帰り、思い出して申し込み用紙のファイルも追加した。キンコーズからファックスを送った後、突発的に複合機がほしくなり渋谷に行く。ビックカメラであれこれ迷っているうちに買う気も失せ、結局「やすべえ」でラーメンを食べるだけに終わった。

 さて、明日からはいよいよ順位戦が再開。C1の岡崎(8-0)-渡辺(6-1)戦、山崎(7-0)-松尾(5-2)戦は今期順位戦の白眉となるのではないだろうか。前夜から胸が高鳴る思いだが、早めに中継の準備を終わらせて明日に備えたいと思います。

2006年1月 8日

草加、越谷、千住の先にて

 午前中に少し原稿を書き、これは終わりそうという気もしてきたので(終わってないんですけれどね)、取材も兼ねて遠くに出かける。今日は埼玉県松伏町の「ふれあいセンター・かがやき」でハンディキャップを抱えた子供たちを対象に、渡辺竜王と石橋女流四段が指導対局をおこなうと聞いていたのだ。家を出て縁日のような休日の竹下通りを抜け、表参道駅から千代田線に乗り、北千住に着く。ここで東武伊勢崎線に乗り換えるとき、「草加、越谷、千住の先よ」というフレーズとともにいつも思い出す光景がある。大学時代、障害者の介助活動を長い間続けているM君という後輩がいた。そのM君に一度、西新井で一人暮らしをするAさんという人のところに連れていってもらったことがある。Aさんは重度のハンディを負った青年で、ひとりで食事をすることもままならない。小難しい社会学の術語を織り交ぜ、いつも生意気な口をたたいているM君が、この日はいやな顔ひとつも見せず、さわやかに笑いながらAさんの手助けをしていた。正直なところ、目をみはらざるを得なかった。Aさんが寝入った後、別人のように見えるM君と向き合っているのはなんとも妙な気分がした。

 そんなことを思い出しながら草加、越谷を過ぎ、最寄の北越谷駅で降りる。野田市駅行きのバスに乗り換え「上河原」のバス停で下車。某社発行の「埼玉県都市地図」も携行し、万事ぬかりはないと思っていたのだが、なぜか地図を見た上で確信を持って場所を間違える。この地図を見た人は99%私と同じように間違えると思うんですけれどね。ずいぶんと道に迷って現地に着いたときは、指導が終わる1時間ぐらい前だった。石橋さんのお母さんに早速、「ちょっとあなた、気をもんだわよ」とあきれられる。すみません、ご心配をおかけいたしました。

 指導の多面指しは終盤で、渡辺、石橋両先生が講評をしているところだった。手合は角落や飛落もあり、皆さん指し手がしっかりしている。詰将棋のように難解な即詰みを読みきって勝った子もいた。その後渡辺チーム3人、石橋チーム4人でリレー将棋を指し、最後に記念写真。みんな緊張しているのか少し表情が硬いので、「ほら石橋さん、何か面白いことを言わないと」と竜王が笑う。石橋さんは年末の将棋寄席で古典落語の「しわい屋」を演じていた。しわい屋とはケチのこと。竜王の普段のケチぶりは相当なもので、多くのエピソードを語り始めると枚挙にいとまがない。石橋さんが落語の枕で使っていたのは、家から駅まで距離があるので竜王が電動自転車を買ったのはいいが、止めている間に盗まれはしないかと気が気でなく、結局駅まで歩いている話など。夢を壊してはいけないので、石橋さんも今日はそんな話はしない。まあ、生活の上でケチなのは美徳かも知れませんけれどね。竜王は帰る際、謝礼を一切受け取らなかった。

2006年1月 7日

締切2日前

 朝起きてネットを見ると、下関駅の駅舎が放火のため全焼のニュース。あまりにも見慣れた風景が一変しているため、どうも現実感がない。

 11時頃、「速報!順位戦」の収録で将棋会館へ行く。順位戦開幕前に内田記者とともにおこなった予想を検証する座談会の出演で、自分の下手な読みを披露。生きていくということは、恥をかき続けることかと思う。

 今日は土曜日ながら新年の対局が始まる日。それぞれ興味深い対局が3局あり、途中まで見学した。帰りに「ジェイ・クック」でコーヒーを飲んだにも関わらず、家に戻ると急速に眠くなる。起きたらこの時間である。これから月曜締切の原稿を書く予定なのだが、はたして。奇跡的に明日の朝までに仕上がったら、取材も兼ねて遠くに出かけるつもりです。ちなみに藤田家の男の子の名前も、月曜が締切だそうだ。

2006年1月 6日

裏原宿、渋谷、新宿

 昨日は連盟を出た後「ジェイ・クック」にて15時頃に加賀さやかさんとお茶を飲み、夕方に上野四段と夕食。ジェイ・クックというのは裏原宿の私の寓居から歩いて30秒ぐらいのところにあるカフェ・レストランで、皆さんがここまで来てくださるのは嬉しい。上野さんと別れた後、渋谷でチノパンと「ティンバーランド」のトレッキングシューズを買い、TSUTAYAで「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」、ボブ・マーリー「レジェンド」、ビートルズ「LET IT BE NAKED」、松任谷由美「sweet, bitter sweet」を借りる。録音形態が変わるたびに、レンタルCD屋は儲かるのだろう。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「Sunday Morning」のチェレスタの音を聴くと大学の寮の気だるい朝を思い出す。チェレスタは次にのだめが弾く楽器だったか。

 今日は締切が気になり始めた仕事に取り組む予定だったのだが、さして進展なし。昼間家にいては何もできないということをまた確認しただけで終わる。翳りゆく部屋で昼寝をした後、三段リーグが終わった戸辺、佐藤天彦、及川の各三段と食事。注目の戸辺-佐藤天戦は佐藤勝ちで、戸辺君は延々とぼやいていた。その佐藤君は一瀬三段に詰みを逃して負けたそうで、こちらも元気がない。ある三段の言葉を借りれば、「振れば当たるとわかっていても、スリーバント失敗をしてしまうのが三段リーグ」だそうだ。じゃあ気分転換に、ということで村山四段とりょうちん氏と新宿で合流し、ボウリングに行く。戸辺君は華麗なフォームで180近いスコアをマークしていた。私は及川君とVSでゲーム代を賭けて勝負をし、3ゲームともに競り負けた。

2006年1月 5日

指し初め式

 昨日は某氏と某デパートのバーゲンに行く予定だったのだが、午後遅くになって「いけません」のメールあり。きっと面倒になったのだろう。その気持ちはよくわかるので、私は気まぐれな人には優しい。そうして12月のことを思い出しているうちに1日が終わった。

 明けて今日は指し初め式。「今年はいきますよ」と言っていた某々先生はいなかった。気まぐれなんですかね。リレー将棋は今年から子供スクールの子供たちが参加するとのこと。会長▲7六歩、子供△3四歩、副会長▲2六歩、子供△2二角成と進み、時代を反映して一手損角換わりの出だしとなっていた。その後指し継がれているうちに後手は△8五歩まで決め、手が遅れまくっているところで△6五歩と仕掛けて戦いとなっていた。指し終わった人が特別対局室から宴席に流れていき、最後に盤の前に座ったのが私と五郎丸の辻本さん。せっかくなので何かいい手を指したいと思っていたのだが、私の技量では発見できなかった。

 その後輝企画の清水さんと内田記者の3人で「速報!順位戦」の打ち合わせ。1月8日放映分の一コーナーは順位戦開幕前の内田記者と私による昇級者予想を現時点で検証という内容。新年を迎えたばかりの将棋界だが、順位戦を見るといよいよ年度末の感が強い。

 打ち合わせが終わって宴席をのぞくと、もう終盤だった。例年修羅場と化すのが恒例のようだが、見た限りでは今年は静か。昨年はT先生から「おい、腕相撲だ」と挑まれ、圧敗したことを思い出した。

2006年1月 4日

私の12月(その3)

 12月21日(水)

 「将棋センター試験」の解答などを作成。すみだ郷土文化資料館の展示を見るまで、相川治三吉の名は「じそきち」ではなく「じさきち」だと思っていた。
 夜、囲碁・将棋チャンネル「速報!順位戦」の皆さんの忘年会にネット中継スタッフ一同で合流させていただく。森内名人も来られていて、盛り上がった。

 12月22日(木)

 夕刻、将棋会館に行く。たまたま居合わせた古作さんに問題を解いてもらう。詰将棋を出題する側の楽しさが少しわかった気がした。モニターテレビに映る棋聖戦最終予選の渡辺竜王-杉本七段戦は早い時間に竜王快勝。しばらくすると竜王が控え室に現れ、「あれ、今日は何ですか?」。いや、先生の将棋を見に来たのですが。新人王戦1回戦の片上四段-遠山四段戦も千日手となったのに、こちらも早い時間に終了。後で棋譜を見ると、遠山四段があまり前例のないであろう見落としをしていた。そのうち全身に悪寒を感じ、これは風邪をひいたなと思って家に帰る。吐き気がして朝までもだえ苦しんだ。まあしかし、中継や原稿の締切前でなくてよかった。

 12月23日(金)

 朝早く近所の病院に行く。「メリークリスマス、ミスターローレンス」という感じの看護士もいない簡素な個人病院だが、近所の評判はいい。休診日だが押しかけていくと「なんだ、男だったら診なかったのに」。河島英五のような声をした無頼な医師なのだ。原則として「今日は診察されていますか?」と聞かれたときには「していません」と答えることができるそうだが、「お腹が痛いので診てください」と言われた時にはよほどのことがない限り診察しなければいけないとのこと。それはいいことを教わった。診察の結果は即決で、風邪ではなく食あたり。点滴を打たれると少し楽になったので、あとはまた家でひたすら寝た。
 午後になって起きだし、将棋会館にて週将アマプロ平手戦・中川大輔七段-天野高志アマ戦を見学。プロの完勝だったようだ。四日市に行った篠田さん(頭が下がります)からの電話にて、学生王座戦で東大が8年ぶりに優勝したことを知る。そんなに昔に思えないのは、自分の生活が当時とあまり変わらないからだろう。その後Guten、まえはる、ぴーたんというマニア3氏とジェイ・クックに行き、帰ってからはすぐに寝た。

 12月24日(土)

 引き続き体調優れず。「ベリークルシミマスでつね」という古典的なフレーズが織り込まれたメールをいただく。寝ながら一日、TOKYO-FMを聴いていた。半蔵門にあるTOKYO-FMには鹿島杯決勝の際に中に入らせてもらった。終了後のパーティーが開かれた最上階のラウンジの名は「ジェットストリーム」。そういえば初夏に瀬川さんの記者会見がおこなわれた際、ニッポン放送に行ったことがあった。

 12月25日(日)

 最近mixi(ミクシー)の中で将棋の話題がいろいろ飛び交っていると聞き、昔もらった招待状を探し出して入ってみる。どういうところなのか、よく知らないんですけれどね。「将棋」で検索して何人かの人のところを見に行ったのだが、足跡が残ると知ってびっくり。

 12月26日(月)

 NHK杯観戦のため、午後からNHK。歩けば40分ぐらいの距離なのだが、横着をしてタクシーに乗る。夜、NHKの風間さん、西田さんと竜王の4人でボウリングに行く。3ゲームでハンディをもらっても最下位だったが、楽しかった。皆さんお上手ですね。

 12月27日(火)

 起きると体の節々が痛い。前日のボウリングが効いたようだ。棋王戦挑決第1局の中継で連盟に行く。森内名人が郷田九段を降して、2度目の羽生棋王挑戦を決めた。打ち上げを早めに失礼して、佐藤棋聖宅の忘年会にお邪魔する。酔った伊奈五段はいつ見てもファンキーだ。

 12月28日(水)

 18時から「お江戸日本橋亭」でおこなわれた「将棋寄席」を見学。皆さんの芸達者ぶりに感嘆。ビシバシし亭さんの「たいがー、たいがー、ありがたいがぁー」は元ネタをまったく知らなかったが笑った。

 12月29日(金)

 27日に3344gの丈夫な男の子を産んだぴえじまさんの病院に行く。48時間陣痛に耐える難産だったそうで、聞いただけで気が遠くなる。途中コンビニで祝儀袋を買う。結婚式のときに忘れてみずほ銀行の封筒のまま渡したことをいまだに笑われるので、今回は気をつけたのですよ。ロビーで包む予定だったのだがエレベーターで降りてきたお母さんに偶然会い、すぐに部屋に行った。結局本人の前で包んで「じゃあこれだけ」とか言いながら渡す。お母さんはぴえ氏には化学の先生になってほしかったそうだ。古来子供は、親の思う通りにはならない。

 日が暮れる前に失礼して、両国の八代伊藤宗印旧宅跡に向かう。「両国4-30-4」という住所は駅から歩いて両国将棋センター横を通り、京葉道路を渡って本所警察署の隣り。今は何があるのかと思ったら、「お江戸両国亭」だった。

 夜、ジェイ・クックにて大学時代の寮の先輩であり、現在は信州大医学部3年生のM氏と夕食。何度も一緒に留年を重ねたM氏がすっかり優秀な医学生になっているのを見て苦笑した。自分も今の仕事に情熱を失ったら、昔いた場所に戻ろうとするのかも知れない。

 12月30日(土)

 午後、今年最後の営業となったジェイ・クックに行く。今年は何度ここに通ったかわからない。すっかりお世話になりました。

 12月31日(日)

 ネットサーフィンをしているうちに「大山」川崎店オープンを知り、飛んでいく。フリークの間では伝説として語り継がれているラーメン二郎町田店は数年前、惜しまれつつ閉店した。その後店主は静岡県富士宮市で大山をオープン。いつか行こうと思いながら、結局まだ果たせずにいたのだ。大山は二郎とは違った洗練されたテイストだったが、ほのかなえび風味にかつての町田店の面影を感じた。

 せっかく川崎まで来たのだからと思い、京急大師線に乗って川崎大師に行く。19時頃の参道は初詣前の準備中だった。帰宅後、ラジオを紅白に合わせる。「川の流れのように」を聴いて2005年が終わった。

私の12月(その2)

 12月11日(日)

 第2期桃鉄竜王戦の開幕日。対局開始の時刻に遅刻をしたことはほとんどないのだが、オフの日の約束は最近遅れまくり。どうもすみません。参加はあきら、いな、ごとげん、えむてぃの4者だが、この日は伊奈大統領の代打ちで石橋さんと戸辺くんが参加。まだまだ始まったばかりで、先は長い。天ぷら、ごちそうさまでした。
 「週刊将棋」の小林記者から篠田さんと私に「将棋界センター試験」作成の依頼あり。連絡を受けた篠田さんはあっという間に多くの問題を作っていた。

 12月12日(月)

 竜王戦1回戦・瀬川晶司四段-清水上徹アマ戦の中継。瀬川さんの快勝だった。終了後、外苑西通り沿いの「竈」にて打ち上げに参加させていただいた。

 12月13日(火)

 C級2組8回戦の中継。桜井八段-伊奈五段戦は「高野山の決戦」が引き合いに出されるような大頓死だった。千日手指し直し局の西村九段-川上六段戦が終わったのは午前3時15分。

 12月14日(水)

 午前3時に終わろうと、9時15分に終わろうと、続けて10時には次の対局が始まる。この日はA級6回戦の羽生四冠-郷田九段戦と佐藤棋聖-久保八段戦の中継。私が担当した羽生-郷田戦は終盤戦が難解きわまりなし。約2時間おこなわれた感想戦が終わり、最後の記事を書いたのは午前3時頃だった。

 12月15日(木)

 大阪でA級6回戦の谷川-三浦戦。以前現場をひとりで担当していたときには始発の新幹線で大阪に向かっていたところだが、今では関西在住の翔記者にまかせきり。翔記者は情熱があり、また事務処理能力も卓越していて安心して見ていられるのだが、つい習性で終局まで観戦。千日手指し直し局では谷川九段の光速の寄せが炸裂し、終わったのは午前1時45分だった。

 12月16日(金)

 B級1組10回戦、およびB級2組8回戦の中継。深浦-堀口一戦は「堀口不敗の体勢」と聞いてそう書き込んだら、世紀の大逆転。感想戦は両者ずっと押し黙ったままだった。最後の記事を書いたのは午前2時半頃。何時に寝たかは覚えていない。

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 12月17日(土)

 12時から帝国ホテルにて瀬川新四段の祝賀会。開始時刻ぎりぎりに会場に着くと、ちょうど深浦八段も駆けつけたところで、後で昨日の逆転劇のポイントなどを聞いた。瀬川四段をめぐるこの1年のあれこれについては、振り返ってみると夢の中の出来事のように思える。去年の今頃、瀬川さんがプロになっていると思っていた人はいないだろう。

 終了後、竜王、ごとげんの両氏に汐留のウィンズに連れていってもらう。競馬通の両氏に習って今年は競馬を勉強しようかと思っています。3人でベンチに座っていると「将棋の渡辺竜王ですか?」と若い男性から声を掛けられる。ジーンズにサインしてくださいというリクエストだったが、それは失敗するとちょっと、ということで私が瀬川四段祝賀会の厚い案内状を取り出してのプレゼントとなった。競馬の収支の方は私がビギナーズラックで少しだけ浮き。レース終了後に内田記者も合流した。竜王ブログなどでも詳しいが、この人も相当な競馬通だ。内田記者と別れた後、新大久保に移動して若手詰将棋関係者との忘年会に参加させてもらう。手羽先とビールで気分がよくなった後、一足早く失礼させてもらった。寝る前に「ジェイ・クック」でお茶を飲みにいく。常連の人たちといつになく饒舌にいろいろとしゃべった気がする。後日聞いたところ、相当な酩酊ぶりだったそうだ。

 12月18日(日)

 「将棋センター試験」の問題、原稿作成。篠田さんに作ってもらった問題をベースに、私が追加調整。この2人に依頼があったということはマニア向けでいいのだろうと解釈して、難易度は若干難しめとした。

 12月19日(月)

 メールで問題を送って、ほっと一息。いつも遅れ気味ですみません。

 12月20日(火)

 A級6回戦・丸山九段-藤井九段戦。丸山九段が中盤のリードを守って勝ち。感想戦が終わって最後の記事を書いたのが午前2時半頃。こうして順位戦は、今年もすべての対局を中継・速報することができた。観戦してくださるファンの皆さま、および関係者各位に感謝したい。

私の12月(その1)

 11月30日(水)

 熊本県玉名市にて竜王戦第4局。渡辺竜王が4連勝で挑戦者の木村七段を降して、初防衛を果たした。私は竜王戦は、この七番勝負ではじめてネット中継を担当させていただいた。読売新聞社をはじめ多くの関係者の皆さま、大変お世話になりました。

 控え室で開かれた打ち上げの二次会の後、週刊将棋の内田記者と竜王の3人で対局場ボーリング場に行こうということになる。午前3時まで営業しているという情報を得ていたのだが、看板を見ると週末だけだった。そのまま3人で、外の焼き鳥屋で三次会。話の中で竜王のここに至るまでの壮絶な努力を知り、またその方向の的確さに、ただ感心する。ホテルに帰ると、出入り口はすべて閉まっていた。

 12月1日(木)

 朝遅く起きて、熊本観光に。タイトル戦の対局地には一足早く着いて名所の写真を撮っておこうといつも思うだのが、無精なのと時間がなかったりすることが多く、たいてい実現しない。関係者一行が宿を発った頃に起きだし、11時過ぎにJR玉名駅に着く。鹿児島本線の下りを待っていると、ジーンズ姿の木村七段が現れた。前日はずいぶんと飲んだそうで、何も覚えてないんですよと苦笑していた。予定も決まっていないそうなので、とりあえず熊本までご一緒にいかがですか、となる。木村さんはまだ奨励会員でお金もなかった頃、「青春18切符」で日本各地をいろいろ周ったそうだ。天草の方にも足を伸ばしたことがあると聞き行きたくなったが、次の日に予定があるので断念。熊本駅で木村さんと別れ、熊本城に向かう。見所も多く写真を撮っているうちに時間が過ぎ、水前寺公園に着いた頃には日が傾いていた。チケットの出発地点を福岡空港から熊本空港に変えるという知恵がなかったので、電車に乗って博多に向かう。もう着いたかと思って降りてみると、佐賀の鳥栖駅だった。

 12月2日(金)

 朝日オープン1回戦・佐藤康光棋聖-佐藤紳哉五段戦と深浦康市八段-杉本昌隆六段戦を同時に中継。連盟を出た後に言い知れぬ疲れを感じたのは、もう32になったからでしょうか。誕生日プレゼントということで、知人に「PORTER」の財布をもらった。

 12月3日(土)

 アマ王将戦1日目。一昨年、昨年と中継をしていたのだが、諸般の事情で今年はなし。よく覚えていないが、たぶん一日中寝ていた。

 12月4日(日)

 午後から雨の中、すみだ郷土文化資料館に木村義雄14世名人生誕百年の展示を見に行く。浅草駅で降り、吾妻橋、言問橋など隅田川の風景を撮りながら優雅な散歩の予定だったのだが、横殴りの雨でずぶぬれになった。夜は石橋さん一行と駒込の六義園の紅葉のライトアップを見る予定も雨がやまずに中止。お母さんにイタリア料理をご馳走になるだけで終わった。とてもおいしかったです。帰り道、雨が小降りになったので、急ぎ足で園内をまわって歩いた。

 12月5日(月)

 王将戦リーグ最終日。諸般の事情で今年はリーグ戦の中継なし。あまり元気が出ないが、とりあえず連盟に写真を撮りに行く。夜になり、挑戦権にからんだ森内-丸山戦は千日手。佐藤康-深浦戦は相入玉になろうとしていた。いつもなら「きたきたー」とか言いながら中継をしているところだが、この日はただ継ぎ盤の検討を見ているだけである。持将棋になると踏んで近所の定食屋に広瀬四段、戸辺三段に行くと、ちょうど丸山九段が慌しく夕食を取っているところだった。連盟に戻ると劇的な幕切れで深浦八段が投了。佐藤棋聖が6戦全勝で羽生王将への挑戦権を獲得した。

 12月6日(火)

 A級6回戦・森下九段-鈴木八段戦とC級1組8回戦を中継。東西ともにすべての対局が終わった午前3時前に連盟を出て、山崎六段、烏記者の3人で外苑西通りの「TO THE HERBS」に行く。7連勝を飾った山崎さんにご馳走になった。朝5時頃解散。

 12月7日(水)

 毎日新聞社にて将棋ネット中継関係者による会議。諸般の事情により、今年度は王将戦七番勝負のリアルタイム中継はなし。現場担当の私にはどうしようもないことなので、ただ残念に思うばかり。

 12月8日(木)

 レディースオープンは石橋女流四段が清水女流三冠を降して、2連勝で優勝。竜王戦七番勝負のため延期されていたC級1組8回戦・渡辺竜王-勝又五段戦は渡辺竜王の快勝で、夕食休憩前の17時半頃に終わった。順位戦1局だけの中継で、これだけ早く終わった例はない。新宿に新しく発売された桃鉄を買いに行った後、すでに何人かが集まっている北尾さんの家に遊びに行く。宇都宮の名店「正嗣」の餃子を山ほど焼いてもらい、ビールで乾杯した。ご馳走さまでした。夜遅くになって、石橋さんも現れて桃鉄大会となった。深夜、外苑東通りを黙々と歩いて帰り、部屋に着いたらすぐに寝た。

 12月9日(金)

 囲碁雑誌でも連載を持たれている、東大OBの秋山嘉朗さんとお会いする。普及のため、下手が「歩」を1枚多く持って始める将棋はどうかと提案されているそうだ。後は「ボナンザ」の話など。

 12月10日(土)

 東野夫妻と「ジェイ・クック」にて夕食。その後小野寺さんとその同僚の方が加わって仕事の話。たぶん何もまとまらなかった。最後に堀井さんが来て店を出た後に連盟に行き、遠山四段-早咲アマ戦の棋譜を控え室で並べてさせてもらった。

2006年1月 3日

奥多摩、高水三山

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 松尾夫妻と奥多摩の高水三山に登る。どのガイドブックにも初心者向けと書いてあるコースだが、真冬は勝手が違う。高水山を経て岩茸石山を目指す途中で目もあけていられないほどの吹雪となり、遭難するのではないかと思った。

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下界に生還した後は御嶽駅近くのそば屋で熱燗。いい正月でした。

2006年1月 2日

初詣

 朝起きて、ぴえじまさんの病院の近くの古本屋で買った『江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸』(山本博文、講談社学芸文庫)を読む。将棋史に関する文書には「ひらくぼ毛利どの」という記述がよく登場する。初代伊藤宗看は麻布日ヶ久保(窪)の毛利甲斐守邸の向かい、三代大橋宗与は宗看の隣りに住んでいたそうだ。パイナップルにて歴史に詳しい人に教えてもらったところ、両家の屋敷は港区六本木5丁目10あたりだという。去年9月に立ち寄って、写真を撮ってきた。ちなみに林葉直子さんが経営していた「ウーカレー」はその至近の5丁目9にある。いつか行ってみようと思っているうちに、昨年いっぱいで店が閉じられてしまった。
 午後、石橋さん、そのお母様とともに巣鴨の本妙寺に宗歩の墓参りにいく。「将棋古典研究家」と書いていただくほど知識はありませんけれど(苦笑)。ちょうど雨が上がってよかった。帰りにはおせちとお雑煮をごちそうになった。とてもおいしかったです。ご馳走さまでした。

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Sha la la

 渋谷のTSUTAYAにてサザンオールスターズの「バラッド」を1から3まで借りてきた。いつの間にか3が出てるんですね。瀬川さんの日記のタイトルは、「シャララ日記」という。親の世代がかけるレコードを横で聴いて育った三十代の私は、すぐにサザンの「シャ・ラ・ラ」を連想した。

 Let me try to be back to this place anyday

 という一節が瀬川さんの心境なのかな、とも思った。帝国ホテルでおこなわれた祝賀会でアマを代表して挨拶に立った遠藤さんが目を潤ませながら、「瀬川さんの居場所はここではなかった」と言っていたのが印象的だった。

 ところで瀬川さんの六番勝負も含めて、昨年自分が何日ネット中継に携わったのかを数えてみた。

王将 8(2×3+2)
順位 57
名人 14(2×7)
朝日 10
竜王 7(2×3+1)
瀬川 6
棋王 1

 タイトル戦の移動日などをカウントしなければ、合わせて113日である。これが私の天職と言えるかどうか。「ラチエン通りのシスター」風に言うと、「思い入れひとつでどうにでもなれる」。過ぎゆく日々は、ただ楽しいだけである。

2006年1月 1日

寝正月

 たまにこうして日記など書きたくなる。長続きしないんですけれどね。というわけで今年もよろしくお願いいたします。

 「一年の計は元旦にあり」というが、正月の朝は11時半頃まで寝ていた。今年は去年の2倍働くと宣言したんですけれどね。どうも行動がともなわない。

 昼過ぎ、このブログをレンタルサーバにインストールしてみる。レイアウトなどをしなければ15分で終わり。パイナップルを見ればわかる通り私はデザインにはまったく凝らないので、スキルが上がらない。仕事上でも自分でページデザインを積極的にできればいいなあ、と思う場面は多いが、根が不精なんですかね。理想は小さなラーメン屋のように、ひとりで全部こなせるようになりたいのだけれど。

 夕方、雑煮を作ろうと思い立つ。餅は戸辺くんからもらったものと、実家から送ってきたものがある。戸辺家の餅は評判が高い。ちゃんと包装されていて3ヶ月はもつそうなので、いたみやすそうな田舎の丸餅から取りかかることにする。冷蔵庫を開けると長ねぎとベーコンがあったので、中華スープとともにぐつぐつと煮た。7つ食べると早速眠くなった。

 起きて寝たらもうこの時間である。また雑煮を食べて、少し歩かねばと思ったところで渋谷までいってきます。今日から始まった瀬川さんのブログは「シャララ日記」というそうだ。TSUTAYAでサザンでも借りてこようかと思います。では皆さま、よい正月を。